雑感
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2002年01月07日(月) きっかけ

物事を始めるきっかけというのは偶然なのか必然なのだろうか。

ドイツ語を始めたのは、テレビのNHKドイツ語講座で小塩節先生のバス
バリトンのような声にひきつけられて、デア、デス、デム、デンを
復唱した高校生のときだった。英語というものに嫌気がさしていたのも
一因か。挫折しそうで、すんでのところで踏ん張り大学はドイツ語のある
ところを選んだ。小塩先生には一昨年、ウィーンで講演会があったときに
聞きにいった。先生の顔を見たとたん、なつかしくてにっこりしたら、
会ったことは一度もないのに、満面の笑みを返してくださった。

学生時代に、タロット占いで運勢を見てもらって、将来のパートナーは
ドイツ語と関係のある人になるだろうと言われたが、これはほぼ的中した。
だって、ドイツに留学したら、どうしても出会いはドイツ語を仲介せざる
を得ないのだから。

ウィーンに来たのは、たぶん偶然だろう。1986年に旅行で訪れたとき
この街の東欧っぽい匂いに圧倒され、二度と来たいとは思わなかった。
その後知り合ったパートナーが受かった大学が唯一ウィーン経済大学だっ
たのでまたウィーンと縁ができてしまった。
二度目にウィーンに来たのは、偶然ではないけれど、理想的な職場で欠員
を補充していたのには運命的なものを感じる。まともな働き先がなければ
今日まで長居することもなかったと思う。

きっかけというものは、自分の机の上や、テレビ、道端にごろごろと
落ちているものなのだろう。それを拾うかどうかは偶然という運命的な
ものが混ざっているのかもしれない。もし、高校生のときにイタリア講座
を見て、おもしろいイタリア人の兄ちゃんのボンジョルノ!なんて
聞いていたら、今ごろはイタリアに住んでオペラ三昧の生活をしていた
かもしれない。
でも物事は偶然だけが、作用しているわけではないだろう。
きっかけが醸成して何かに成って必然と感じられるためには、人間の心の
深いところで、方向性を示したものがあるのだろと思う昨今である。


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