雑感
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今の若い人には想像できないかもしれないが、私が小さいとき、 電話というものがめずらしい時代だった。会社やお店にはあったが、 一般家庭ではめずらしいもの、重たげな、黒光りする電話がうちにも あればなあといつも弟に話しかけたものだった。
父だったか母だったか、糸電話をこしらえてくれた。紙コップにきりで 穴をあけて、タコ糸を通した簡単なおもちゃ。それでも耳をコップに あてると、弟の声がびんびん響いてくるのは不思議だった。
家庭に電話機があるのが当たり前になり、今では、一人一台ケータイを もつのがしごく当たり前になった。私がケータイを持ったのは、一昨年。 もっぱらパートナーとの連絡用で、誰も番号を知らない。 こちらの人は道行きながら、大声で誰かと話をしている。でも私のケータイ に着信が入るのはとてもめずらしい。
以前、友達がケータイにメールがどんどん入って困ると言った。でも まんざらでもなさそうな顔。私の手にはできない、魔法の宝箱をもって るようで、羨ましいなと思った。着信がひっきりなしに入るのは、誰か かれかが、いつも気にかけてくれる証拠だと思う。
私にはもともと、ケータイも固定電話も必要なかったとしっかり認識した のは最近のことである。 一緒に食事や映画に行くような友人はいないし、会社と家とスタジオの 往復のみで、パートナーがここにいなければ、糸電話の片っぽで、一人 遊びしているようなものである。 よしんば持っていても、どの番号を押せばいいのか。私は誰かと話し たがっているが、どこへも発信できない。
地下鉄のカールスプラッツ駅の公衆電話に、昨日も今日も同じ時間に、 おじいさんがくたびれたコートに身を包み、ごま塩のような口ひげの 下から、泣きそうな声で何かしゃべっている。あのおじいさんは、 ひょっとしたら、誰にもつながらない送話器に向かって一方的に話し かけていたのかもしれない。
自分の老後を見ているような気がしたので、あわててその場を立ち去った。
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