雑感
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| 2002年05月11日(土) |
ステータスシンボルとしてのランニング |
オーストリアの週刊誌「フォーマット」にジョギングの特集 ページが組まれていた。来るウィーンマラソンを意識して 走る人たちのことが事細かに分析されている。
ウィーンマラソンが近づくと俄かランナーが増えるけれど、 政治家を筆頭とする国の名士たちが登場しているのがなんだか おかしい。シュッセル首相に、バルテンシュタイン経済大臣、 自由党のハイダー前党首、リースパッサー副首相・・・と 政治家でこんなにランナーいたかなあと首をかしげる。 特集記事を組むので無理やりジョギングウェアを着用したのでは ないかと思われる人たちの姿もあった。 (ただし、経済大臣は有名なサブスリー目前のランナー、 ハイダー氏はフルはけっこう速いランナー)
記事にはランナーの社会的地位、収入、学歴の統計があって ランニングを趣味とする層は医師や弁護士、ドクターの肩書きを もつ、いわゆる知的職業、収入も可処分所得が月3500ユーロ 以上が3割以上を占めるようだ。
そういえば、大きなマラソン大会には職業別に表彰されるものが あり、医師や弁護士などの部門があったことを思い出した。 ランニングというものは舞踏会と同じような意味合いをもつ ステータスとしての余暇活動ということが、この国では言える のではないだろうか。
日本のランナー雑誌や走友会の記事を読むと人々は日常の社会的 立場を忘れて、走ることに没頭しているように思う。医者でも サラリーマンでも主婦でも走るのが好きな人たちが集ってそこに ひとつのコミュニティを作っている。
プラターを走りながら私のような出稼ぎ外国人が走るのはきっと めずらしいはず。ランニングがステータスのスポーツ とするならば一見してアジア人とわかる自分が走っていることに 違和感を感じる人がいるのではないかなとふと思った。
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