雑感
DiaryINDEXpastwill


2002年06月12日(水) 生き急いだ人

いきなり「ナンシー関、急死」の報が朝日コム一面に出た。
びっくり。

まじかと思った。
悲しいとか惜しい人を亡くしましたという気持ちより、
これからは、あの辛口の、いや激辛のコラム読めないのかと
思うと残念だ。

彼女の文体や、おやっとするような言い回しが好きで、新刊
はほとんど購入。嫌いな読者にとっては、ただ芸能人や
テレビ番組の悪口を言っているだけにしか聞こえないが、彼女の
文章を読むと、私が実際に見ることのない対象が、まるで
目の前で見えているように感じがしたものだ。

視聴者が芸能人という対象に、薄々と感じていること、でも
言葉で表すところまではいかない、もやもやっとした印象を
彼女は、的確に表現して、ああなるほどと、はたとひざを打った
ことが何度もある。
かつて、デープ・スペクターが、彼女のことを「ただ太っていて、
人の悪口を書いているだけ」と非難したときの「これは芸なんで
ある。昨日や今日太ったんではない!」とみごとに切り返した
小気味よい文章が思い出される。
コラムを芸ときっぱりと言い切ったところが、すごいなと思う。
普通の書き手は、芸なんて言わない、芸術あるいはアートと
呼んで憚らないだろう。

彼女はおもしろくない番組や芸能人に対しては厳しかった。
ナンシー関というフィルターを通すと、テレビ番組のくだらなさが
あからさまになり、番組に出ている芸能人の意味付け―何故その
番組出ているのか―や役割が一目でわかった。特にテレビカメラの前
で繰り広げられる「ちょっといい話」に対する全面肯定路線を
ずいぶん矯正してくれた。

彼女の訃報を知って、人はいきなり死ぬことだってあるのだなと
変な納得をしてしまった。
とは言っても一日を凝縮して生きなければなどと、おこがましい
ことは言わないけど・・

あのコラムが読めなくなるとは・・・寂しいぞ。


Aqu |MAIL

My追加