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結構最近のことだけど、 あるトラブルがきっかけで、私は知人に 「もうあなたにかかわるつもりはない」とメールを出した。 お互いの付き合い方が不器用だったことが そのときのトラブルをまねいたということはわかっていたけれど、 私はもうその人を信用することができなくなっていたし、 その記憶がある限りずっと自分たちはギクシャクするだろうと思ったのだ。 理由をちゃんと説明したらわかってくれたようだ。
フェイドアウトのほうが希望を残しつつ相手を遠ざけられるから 自分にとっても相手にとってもいいと去る側は思うけど、 去られる側はそうは思わないものだ。 むこうが連絡をよこすのを待ちつづけて、 待つ心がゆっくりと落胆にかわっていく。 やがて、本当は最初から嫌われていたんじゃないかとか、 友達だと思ってたのは自分だけだったんじゃないかとか、 相手の言外にあったであろうものを探し、自分を責めるようになる。 ひどい場合、新しい出会いにすら臆病になってしまう。
だからへたに希望を残すよりは、理由を言って 自分たちは終わりだとはっきりさせたほうが 相手にとってもいいと思っている。 少なくとも、原因ははっきりさせておいたほうがいいし、 相手の全てを否定したいから別れるわけじゃないのだ。 ひどい人だと思われるかもしれないけど、 こっちから申し出たのだからそう思ってくれてかまわない。
ほとんどの場合私からの申し出は一度でとおる。 たまに相手からもう一度チャンスがほしいといわれて やりなおすこともあるけど、大抵うまくいかない。 相手がもうちょっとねばってくれればなあと思わなくはないけど、 自分がそんなに人から欲しがられる存在ではないことは 自覚してるつもりだから、そんなにショックではない。
でも、なかなか人との関係をきっぱり終れないのも現実だ。 この人嫌いだなーと思っても 最初の段階だからまだ自分が相手を よく理解しきれていないせいかもしれないと思うし、 嫌いな人を寛大な気持ちで受け入れられない自分を 恥ずかしく思うから、最初のうちは我慢する。
やがて、相手の姿を見るたびに少しいらいらしてはくるものの、 基本的に人は誰でもいい人でいたいものだ。 相手がよってくればいい顔をするけど、 いなくなったとたんいやーな顔をするようになる。 そして、どうすれば自分がいい人のままで 相手を遠ざけられるのか考えるようになる。
言えばすぐに改善してくれそうな不満を飲み込んで 相手を不愉快な人のままにしておき、 「こんな人と付き合っている自分」のいい人ぶりを その人の悪口とともに周りに吹聴してみたりする。
相手のほうは、そういう場合 自分が嫌われてるとはなかなかわからない。 いつも笑顔で接してくれる人が 本当は自分のことを嫌いに違いないなんて普通は思わない。 最初の段階でその人も相手を嫌いじゃなかった場合、 最初のときのその人の笑顔ややさしさは本物だから、 相手はますます自分が嫌われているなんて思えない。
でも、なかなか自分の拒絶の意思が伝わらないその人は だんだん大胆になってきて、 あからさまに相手を避けるようになる。 相手の行動範囲内にあらわれなくなったり、 連絡をとらなくなったり、 会ってもいらだちを隠さなくなったり。
そのくらいになって相手はなんとなく自分が嫌われているように 思えてくるけど、まだ信じられない。 自分が見込んで好意をよせているその人が そんな人だとはなかなか信じられないのだ。 気のせいなのだろうと何度も不安を否定してはみるけど、 いずれその事実に気づかざるを得なくなる。 やがて相手は、嫌われているのかどうなのか よくわからないままその人の前に姿にあらわさなくなる。 会えば挨拶はするけれど、もう前のようには話せない。
むこうは相手と縁がきれてすっきりするかもしれないけど、 時間をかけてゆっくりとなされる「拒絶」は とてもたちが悪くて、相手に深い傷を残す。 大抵傷つけられるのは、不器用なくらいまっすぐで ずるいことができない人のほうだ。
ずっと仲良くできる人とだけ出逢えればいいのに、 どうしてうまくいかないのだろう。 純粋な人が傷つくのは、あまり見たくない。
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