- different corner -
DiaryINDEX|past|will
2003年04月21日(月) |
Critic's choice/誰かの勝ちは誰かの負け/update 2 |
長年の付き合いのCくんは、とてもいい人だ。 なぜいい人なのかって、 私がした即答に困るような質問に、 自分の言葉でちゃんと答えようとしてくれるからだ。 バカに見えるかどうかなんて関係なし。
ごまかすことだって、 「おまえが知らなくてもいいことだ」と 言うこともできるのに、彼は絶対そうしない。 本当に自分でわからないことは 「わからない。ごめん」と恥ずかしそうに答える。
正解がほしかったわけじゃなかった。 自分の言葉で答えてくれればよかったのだ。 受け売りだけではない、 自分の言葉で話してくれるのかどうか、 知りたかっただけ。 だから、利巧そうにふるまう必要なんて 最初からどこにもないのだ。
どんなにかっこいいことを言っていても 所詮人の言葉でしか語れない人はすぐに化けの皮がはがれる。 しかし、世の中にはそんな人たちばかりだ。
「そんなことは知らなくていい」と 無知な人間に腹をたてるのは、 自分がそう扱われることを恐れているからに過ぎない。 目の前に「無知になった自分」が あらわれたように思えて 過剰反応してしまうのではないだろうか。
本当に「知っている人」は、 無知な人を恐れたり粗末に扱ったりはしない。 自分が知らないことがあれば その機会に自分も学ぼうと思うものだ。 (とりあえず今は人を参考書がわりにする 例外的な無知な人は無視。)
昔は彼はそういう人ではなかった。 知らないことを知らないといえない人で、 とにかく自分が優位にたちたいと思っていた。
でも、いろいろな人にもまれて勉強を重ねていくうちに 自分の周りの人にだけはわからないことは 素直に「わからない」と言うか 自分なりの回答を渡そうとするようになった。
昔の彼は好きになれなかったし 私は彼と何度もぶつかったけど、 今では彼と知り合えてよかったと思っている。
私が欲しいのは正解じゃない。 なのになぜあの人は、必死に評論家の言葉を 覚えようとしているのだろうか。
負けたり、味方されなかったことになれているせいか、 何かで戦って勝ってもあまりうれしい気持ちになれない。 どんなにうれしいことや名誉なことであっても、 この勝利は間違っているのではないかという気持ちがぬぐいきれない。
そのせいか、誰かと戦わなくてはいけなくなったとき、 気を張っていないと力が抜けて 一瞬のすきに負けてしまうことがある。
でも、負けたほうがほっとしてしまう。 自分でもよくないと思うのだけど、 なかなか気持ちの切替えがうまくいかない。
どうしたもんかな。
やさしい人へ
いろいろありがとう。 あなたのやさしい言葉が心を満たしているうちに 眠りにつきたいのだけど、私の「今日」はまだ終わりません。
わがままなお願いだけど、 もう少しの間だけ私にやさしくしてください。 こんなに温かい気持ちになれるのなら、 偽りのやさしさでもかまわない。
あなたが両手に注いでくれている生命の水は、 本当は猛毒なのかもしれない。 でも、あなたがくれるものなら、 私はそれを水だと信じて飲もうと思う。 あなたが今のままやさしくしつづけてくれるのなら、 あなたが本当は悪魔だったとしても問題じゃない。
どうせ見分けがつかないのだから、 真実なんていらない。 ただ、あなたのやさしさが欲しい。
|