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今日は仕事は休み。 メールを出して、電話をして、 音楽をきいて、少し勉強して、 友達と愚痴を言い合って、寝た。 昼に食べたチーズケーキがものすごくまずくて、 当分チーズケーキは見たくないと思った。
咳がひどいので医者にいったほうがいいとすすめられる。 でも、病院にいったら病名をつけられて 治さないといけなくなってしまうので行く気が起きない。 伝染病じゃないんでいいだろ。
最近、無意識のうちに自分を守りながら 人と話していることに気付く。 自分が人にかける言葉は以前より乱暴になったけど、 人の言葉にあまり期待しないようになった。
これが大人になるということなのかもしれないけれど、 要するに人の言葉を信じてないのだから あまり良い変化とはいえない気もする。
でも、「それって本心ですか?」と たまに聞いてしまうところはまだ大人とは言えない。 そういう場合は本心じゃないことくらい 聞かなくてもわかる。もちろん、ただのいじわるだ。
その一方で、普通にやりとりしてる人との 会話やメールに妙にいらつくようになった。 交流が終わるたびに、喧嘩をしたわけでもないのに もう二度と話したくない、と思う。
自分に対するいらだちを他人のせいにしている だけだというのはなんとなくわかるのだけど、 解決策が見出せない。
「なんだ、心配してくれてるのかと思った」
「心配。。。してるよ。(苦笑)」
「わああ、すんごいつけたしっぽい」
「(笑)」
「この人のために何ができるだろう」と よく自分に問うことがあったけど、 そういう場合は何もしないほうがいいような気がする。 何かできるなら、むこうから求めてくるだろう。 いい人っぽい印象を残したいがために ここぞとばかりに便乗しようとしている自分が嫌いだ。
それでも関わるのをやめられないのは、 「自分がいなくても大丈夫なのを見たくない」という 某名作映画みたいな感情と一緒なのかもしれない。
仮に、今日からずっと誰のメールにも返信をださないままで 一箇月以上たったとして、「どうしたの?」と 心配する人は一人もいないと思う。
「忙しいのだろう」「話に飽きたのだろう」「嫌われたのだろう」と 勝手に理由をつけてほっとかれるか、 特に何も思われないかのどちらかだ。 今の私はそういう関係しか築いていない。
「どうしたの?」と心配される程 深入りしている人もいないし、 深入りしても大抵迷惑がられているので そういうことはまずありえない。
この数ヶ月の間に「寂しい」という感情が 自分にもあったことを知る。 今までなかったのは、満たされることのない感情だったから あっても意味がなかったのだと思う。 「寂しい」という気持ちを満たすものがどこかにある、 あるいはあるはずだと思っているから、 その感情が存在しつづけるのだと思う。
その証拠に、最近また私は 「寂しさ」を感じることがなくなってきている。 一人でいることがあたりまえなのだから、 誰かがいて邪魔だと思うことはあっても いないからといって何かを感じるはずがない。
昔やっていたサイト宛てにメールが届く。 一、二度やりとりしてみたものの 自分と話したいのか一度で終わらせたいのか いまいち見当がつかない。
あまり人に期待してない人が よくこういう書き方をするんだよな。 前の私ならなんとしてでも その場に留めて関わり続けようとしたけれど。
そのメールは、「その他」フォルダに移動させた。 返事はしない。 私もあんたに期待しない。
暇つぶしに某サイトの占いをやってみたら、 「今、あなたを愛している人はいません。 でも、あなたの様子を伺っている人は 何人かいるようです。」と出た。
様子伺いなだけなら、縁はないと見た。
抱き枕になってくれる人ならほしいぞ。
fourplayの"ELIXIR"が最近少し気に入っている。
トッド・ラングレン様。6月22日、お誕生日おめでとう。 奥様やお子さんはお元気ですか? 私にはまだ、幸せな家庭を築くというものが どんなものか想像がつきません。
想像がつかないのは、想像をつけたい相手が まだいないからなのかもしれません。 結婚はするかもしれないけど、 そういう理想を思い描くことは一生ないように思います。
BGM : Are you lonesome tonight? - 遠藤京子
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