ぶつぶつ日記
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2001年09月17日(月) 偽善だっていいじゃない

【情報いろいろ】
イスラミックセンターの公式見解 
http://islamcenter.or.jp/ICJstatementJ.htm
をご覧下さい。

毎日新聞の記事、かなり客観的です。

http://www.mainichi.co.jp/eye/yoroku/200109/15.html

http://www12.mainichi.co.jp/news/search-news/833906/83A83t83K839381408d9198A90E88f5-0-1.html


【偽善だっていいじゃない】
考えてみれば、がたがた色んなことを言っているが、
私は「どちら」の当事者でもない。
アメリカに親戚がいるわけでもないし、ムスリマでもない。
それなのに、なんでこんなにいろいろなことを考えるんだろうと、
馬鹿馬鹿しく思うときも、正直言ってある。
そして偉そうに色んなことを言っている自分を
なんて厚顔な偽善者なんだろうと、うんざりしてしまう時もある。
何もできないのに。
何もしていないのに。
何が言えるというのか。
自嘲気味に思い、酒のいっぱいでも引っかけて眠りたいが、
残念ながらアルコールアレルギーなのでそんなこともできない。

しかし、アメリカに住んでいるある人のメルマガを読んでいて、
この「当事者でない者が考える」ということが、
実はとても大切なことであるとも思えた。

その人のメルマガはいつも着眼点が素晴らしく、
そしてウイットに富んでいて、
声高に何かを主張しているわけではないのだが、
ほほ〜、なるほど・・・と思わされることがとても多い。
しかし、彼はアメリカに住んで長く、家族はアメリカ人。
昨日送られてきたメールには、意外にも「一般の」アメリカ人の
心情が表れていて、はっとした。

> 今回のテロが「戦争」だということにすれば、テロ事件という「犯罪」捜査
> とは違って、被疑者の人権に配慮する必要もなければ、細かい法手続きに従う
> 必要もなくなる。報復も大規模にできることになる。だが、これを戦争だとす
> れば、「犯罪ではない。聖戦である」という犯人が主張したいだろう論理を認め
> ることにもなる。

そうは言っても冷静に上記のように観察することはできる。
しかし、彼は続けて以下のように言っている。

>日本でも、事件をはたからみて、「こういう事件は悲劇だが、その背景には、
> アメリカを代表とする先進国がこれと同じような悲惨さを、それ以外の国に押
> し付けてきた事実がある」などと論評する人がいる。正論かもしれないが、被
> 害者であるアメリカ人が言うならともかく、少なくともいまは、他国の人間か
> らこんな説教は受けたくもない。空襲で家族を亡くして悲しみにふけっている
> 人のところに行って、「これは悲劇だが、この事態を招いた原因は日本の軍国主
> 義なのです」などという人があるものか。それに、もしアメリカにも非がある
> なら、日本も同じ罪をおかしている。
>
> 悲しみを共にできないような人間とは友人になれない。危機感を共有できな
> い人間と連帯することはできない。

私も別に説教はしたくない。
なぜなら、私は当事者ではない。
悲しみや怒りを持ってはいるが、
最終的なところまでは理解すること、感じることは不可能だからだ。
ご家族、ご友人が行方不明だったり亡くなったり
何らかの被害を受けた方に向かって、
「全くお気の毒でした、でもパレスチナでは毎日同じように、
様々な攻撃で一般市民が殺されているのですよ。」
などとは口が裂けてもいえないだろう。
聞かれたら、答えると思うけれども。

しかし、と私は思う。
では、ただ悲しみや怒りを共有して、
アメリカの今後の報復に盲従するだけでいいのか。
それじゃ、やっぱりだめだ、と思う。
当事者でないものの冷静な、そして時には冷たいとも思える目は、
やはり絶対に必要なのだ。
それを「偽善」と呼ぶ人もいるだろう。
でも、偽善でも、ないよりはましなこともあるではないだろうか。

彼のメールは20世紀の偉大な神学者であり、
アメリカの政治・社会思想に強い影響力を与えた
ラインホルド・ニーバーの祈りの言葉で締めくくられている。

>   神よ、
>   変えることができないものを受け入れる心の平静さと、
>   変えることができるものを変える勇気と、
>   そして、変えることができるものとできないものとを見分ける知恵を、
>   われわれに、与えたまえ。

参考:ボストン読本
http://www.geocities.co.jp/Bookend/2697/



(その2)
今回、私は結構ムスリムに腹を立てている。
というか、この不満は常にムスリムに対して持っていることだが、
やっぱり・・・という失望感とともに怒りがふつふつと湧いてきている。

被害者の方への哀悼も述べず、とうとうとアメリカを非難する人の何と多いことか!
パレスチナ問題やモロモロな欧米の作ったアラブ内の問題が原因であったとしても、
テロで犠牲になった人たちの命を軽視しすぎているのではないのか。
パレスチナ人の命を同じように、アメリカ人の命も重い。
私は、それを忘れたり、見ないようにしたりしたくない。

うまくいえないけれど、
結局、多数のムスリムの人たちが言っているのは、
ムスリム(イスラムとは言いたくない、個人的に)=善、そして被害者、
ムスリム以外、今回の場合はアメリカ=悪、
という図式でしかなく、
それではアメリカの論調と内容は反対でも、主旨は全く同じだし、
いくら正しくイスラムを理解してくれ、
イスラムはテロを容認していないんだ!と言っても、
誰も聞いてくれないように思う。
自分達の首を自分達で締めているような、そんな感じがしている。


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