ぶつぶつ日記
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2001年12月04日(火) 映画「パールハーバー」に抗議できないわけ

少し前にタイタニックを超える!とかいうキャッチフレーズで
「パールハーバー」という映画が公開された。
アメリカでも大した興行収益を上がられなかったみたいだけど、
その内容を聞き、そして某チャンネルのインタビューコマーシャルで、
「感動しました〜。」と言っている若い女の子達を見て、
自国に対する侮辱、とは何か、私は深く考えた。

9月のテロの時も、散々「パールハーバー以来の・・・」と言う
なんとも頭に来るフレーズを耳にした。
「パールハーバー=奇襲攻撃=人の道に反した汚いやり方」という図式だが、
一言言わせていただければ、
日本軍は事前に攻撃の通告をしていたのだ、パールハーバーの前に。
当時、日本に対する宣戦布告の時期をうかがっていたアメリカ上層部は、
それをいい口実にするために、この通告をパールハーバーには知らせなかった。
結果、知らされていなかったパールハーバーにとってはまさに奇襲」で、
多数の犠牲者が出たが、
少なくとも映画「パールハーバー」のように民間人や、病院などは攻撃を受けていない。
攻撃を受けたのは、全て軍施設関係に限られていた。
この事実の湾曲、そしてともにテロリストと戦うことを
半ば義務付けた「友好国」に対する何の配慮もない例え。
どうして、日本政府は、「日本政府」として抗議しないのか。
はっきりいって、私は情けなかった。
少なくとも、これからテロリストと戦うために、
金銭だけでなく人的援助をも強制させたい国に、
あの言い草はないだろう、と思った。

しかし、考えてみると「日本政府」として抗議できるわけもない理由もある。
それは、もし日本政府がアメリカに対して
事実の湾曲、そして訂正を求めたとしたら、
多分中国と韓国も日本に対して黙ってはいなかっただろう。
自分たちのことばかり考えているが、
こっちに対する補償はどうなってるんだ、と。
そしていまだに「南京大虐殺」は中国側のでっちあげだ、
ということに固執している人間が多い中、
それらに対する抗議も再燃するだろう。

結局、自己反省が出来ないために、
自己を侮辱されても黙っているしかない。
そんなふがいない状態が、今の日本ではないかと思う。


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