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2005年01月05日(水) 大学院冬学期開始、「あなたは偶然に存在しているのではない」

とうとう大学院が始まってしまった。金曜日から授業が始まるのが常だったけれど、今年は水曜日から。なんとなくいつもと違うリズムに戸惑いを感じながらも、一日が無事に過ぎていった。

今日は先生の前でベートーベンを全楽章演奏する日。とりあえず、今日を目標に毎日一生懸命練習してきたし、その成果を出せたように思う。そのときの録音は後で聞き、細かな点はそのときに反省するとしても(笑)、過度な緊張をすることなく流れをもって弾き通すことができたことをとても喜ばしく思う。先生も「休みの間、いい練習をしてきましたね」と言葉をかけてくださった。

私の生徒のお母様でクリスチャンの方がいるのだけれど、その方からある本を借りている。つい最近になるまで忙しさにかまけて開くことがなかったのだけれど、ここ数日になってようやく少しづつ目を通している。

その一節に「あなたは偶然に存在しているのではない」とあった。「神は私が生まれる前から私をご覧になっておられ、私がまだ呼吸を始めないうちに私の生涯1日1日のスケジュールを作られました。」(詩篇139:16)(LB)とにかく、神は私を神のお望みのようにおつくりになり、また私に対して、緻密なプランがおありになるという。ふと思うとこれは初めて耳にしたことではないけれど、今の時点の私にはとても深くゆっくりと確実に心の奥まで染み通ってくる。

今回のコンクールのことでも、やはり練習を重ね、演奏がある程度のレベルに達するとやはり勝つことが頭の片隅に浮かんできてしまう。けれども、もうこのコンクールの勝者は神によって決定付けられていて、私は私のベストを尽くすのみである、ということがはっきりすると、不安が消え、とてもすがすがしい気持ちになる。

また、外出時、とくに移動の時になると時間を無駄に使っているような気持ちになって、ついつい急いでしまうのだけれど、この瞬間に私が歩くことはすでに神によって予定されていた、と思うと、ではその時間を充分に楽しみたいいう気持ちがでてくる。気持ちが落ち着いて、道端の草花や木々に目が向いたりする。

「主は私に対するご自分の目的を果たされる」ために私を動かしてくださっている。そう思うととても気持ちが楽になる。私がいくらあがいても、辛い、苦しい思いをしても、ある意味では何も変わらない。そう思うと何も心配の必要がなくなる。自分でコントロールしよういとするのではなく、神の与えられた流れにうまく乗りたい、身を任せたい。そう思うと肩の力が自然と抜けてくる。

また私たちには二人のマスターは要らない、というようなこともかかれてあった。ときどき、私は自分の先生の言葉に翻弄されてしまうことがあるけれど、やはりまず神の言葉に耳を傾けなければならない、と感じた。

私はまだ未熟なので、この本に書かれていることを全て理解し、受け入れられているわけではないというのが本当のところで、疑問もたくさんある。けれども、上に書いたような概念を深くAppreciateできるだけでこの本に出会った価値は充分にあると思うし、それこそお導きだったのだろうと思う。この本を貸してくださった生徒のお母様にもお礼を申し上げたいと心から思っている。


けい |MAIL

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