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2005年06月04日(土) 恐ろしいほど何も伝わってこない演奏

そういえば、昨日のクラスで今回の演奏会で独奏をするKさんが演目のシベリウスを演奏しました。傷のない演奏。でも、本人が緊張していたのもあってか、とても居心地の悪い印象を受けました。こちらまで緊張が伝わってきて、苦しくなるような。そしてそれ以上に、きちんと弾いているけれども何も伝わってこない。恐ろしいくらいに何も伝わってこない。こういう演奏に触れたのは初めてのような…とにかく私はただ時間が過ぎるのを待つのみでした。

正直なところ、ここまで何も伝わってこない演奏は珍しいようにも思います。自己満足に終わっていようと、演奏に強い癖があったとしても、弾き手の意図するところがたいていにおいてはなんらか見えるものなのですが…。ある意味でとてもショッキングでした。

楽器を弾くことだけしか考えていない。きっと彼女はそういうところにあるのでしょう。正しい音程で、書かれている音をとにかくクリーンに弾いていく。それは確かに大切なことですが…。彼女はこれからも彼女の道を行くでしょうが、その道は私には決して通ることのできない道。音楽をコミュニケーションの手段としてとらえている私にとってはありえない、恐ろしい演奏でした。

私がこちらに来てから巡り会った師たち。CカルテットのMr.C、P交響楽団のMr.K、そしてもちろん私がずっと師事しているB先生。みなさん、口をそろえて言うことは「音を弾くのではなく音楽を弾け」ということ。そして私はそういう言葉に何度となく共感し、Inspireされてきました。

何をもって正しいとするか、というよりは、やはり自分が何を目指したいか、ということになるのでしょう。昨日の彼女の正しい演奏はもちろん楽器の演奏として評価のできるものでした。けれども、私にとって、あれは音楽ではありません。私はそんな演奏よりも、たとえ多少の傷があったとしても、何かを感じられる演奏を聴きたい、弾き手の意図するところが少しでもみえる演奏が聴きたい、と心から思いました。


けい |MAIL

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