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2001年09月18日(火) ■ |
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聖域 |
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先日、ある方と野球の話をしていて、印象に残った言葉がある。 「大差試合だからといって必ずしもつまらないとは限らないし、また接戦といえど面白いとは限らない」というものだ。 大差試合でも面白いというのはなんとなくわからなくはないのだが、接戦で面白くないというのはどういう試合のことなのだろう。 簡単に言えば、面白くない接戦とは締まらない試合なのだ。ピッチャーの四死球が多い、エラーが多い等…。しかし、ピッチャーに四死球が多いからといって、エラーが多いからといって、イコール「面白くない接戦」とも限らないのだ。訳がわからないと思われる方も少なくはないだろう。だが、私の野球観を180度変えた試合は、「面白くない接戦」の条件を満たしていた。
女子校で育った私にとって公立の男女共学校はある種羨望の対象だ。だから、必然的に逆の感情も生まれてくる。極度な公立校嫌いだった。当然、公立校の試合など見向きもしなかった。それは本当に偶然だった。友人が府立の某高校に勤めており、教え子か誰かが出るから京都大会を見に行きたいと言った。彼女は高校野球観戦経験が皆無で一人で行くのは不安だったらしく、「野球が好き」な私に声をかけてくれたのだ。私は対して意味なく「いいよ」と応えた。その試合は開幕第一試合だった。少し早く出て開会式を見たいと思った。動機はそんな単純なものだった。 友人がゲームに出ている教え子のエピソードみたいなのを教えてくれたので、今までにない観戦となった。こんな楽しみ方のあるんだなと思った。試合は接戦だった。常に相手にリードを許していたが、何とか追いすがり突き放されずに食らいついていた。この試合、両チームともエラーが多かった。ヒットとエラーの数がほとんど同じなのだ。ずっと強豪校と呼ばれるチームの野球しか見ていなかった私は心の中で「なんや、普通校ってこんなにレベルが低いのか」などととても失礼なことを思っていた。そんなわけで塁上のランナーはなかなか減らないし、いたずらに時間が経っていく。ダラダラした展開に正直疲れていた。 しかし、9回2点のビハインドを見事克服し、試合は延長戦に入った。姿勢を正した。この試合、おもしろいかも。友人の勤めている学校は、エラーをしてもなんとかくらいついている。野球のセオリーは「エラーしたら負け」なのに、すごい粘りだ。逆に相手校はせっかくエラーでもらっているチャンスを再三生かしてはいたが、自チームも同じようにエラーをして、いまいち流れをつかみきれずにいる。結局、延長10回裏、そのチームがサヨナラ勝ちをした。最後もやはり相手校のエラーで決まった。 はたから見たら、なんて締まらない試合なのだろうと思う。けれど、私は「ええ試合やったなあ」と何度も友人に話していた。試合終了後、帰り辛くて友人と球場出口にいた。双方のクラスメートや父兄やファンが木陰の下なのに固まっている。一言「おめでとう」と言いたくて、一言「おつかれさま」と言いたくて…。 30分くらい経っただろうか。先に勝ったチームの選手が出てきた。みんな満面の笑み。クラスメートらしき男の子が数人、彼らにお祝いの言葉を言い、じゃれ合っていた。これが野球の強豪校とかだったら、あの試合展開では満面の笑みはなかったと思う。でも、このチームにとっては勝利はどんな形であれ嬉しいのだろう。その素直さがいいなと思った。 ふと目線を変えると、みんなから少し距離をおいたところに背番号「1」をつけた選手がいた。なにしてるんだろう、みんなと一緒に喜んだらいいのに…。よく見ると、彼は顔を伏せて一人で泣いていた。びっくりした。なんで泣いているのだろい。エラーが絡んだとはいえ、7点も取られたピッチングに納得できなかったのだろうか。ピッチャーという人種にならありえなくない理由だ。でも、ふとそれは違うと思った。彼は声を上げずに静かに泣いていたからだ。もしかして、これはうれし泣きなのではないだろうか。試合前、このチームは公式戦であまり勝てないチームだと聞いた。だから、3年の最後の夏には「勝ちたい」という思いがとても強かったはずだ。立ち上がりからエラーの連続で、再三ピンチに立たされた。延長に入るまでは常にリードを許す展開。一生懸命投げているが本当に勝てるのだろうか。野手のエラーに対しても複雑な感情を持ち、心の中で葛藤を繰り返していたかもしれない。試合中、そんな様々な思いを抱えて緊張状態が続いていたかもしれない。今日つかんだものは、まさに「苦しみの末の勝利」だ。ふと緊張の糸が切れた、泣いてしまったとしても何らおかしなことでなはい。 私の目線は彼に釘付けになった。18歳でこんな泣き方が出来る子はそういない。私は、彼のその姿だけで彼の人格や野球にたいする思い入れみたいなのをくみ取れたようにすら思えた。まもなく、そんな彼に気付いたクラスメートやチームメイトが彼の側に歩み寄った。肩を抱いたり、頭をなぜたりして、「よかったな」「よかったな」と声をかけてた。彼はうなずきながらもなかなか泣きやむことが出来なくて、またしばらくすると一人で泣いていた。仲間たちは彼をそっと見守ることに決めたようだ。私は一歩も動けずにいた。クラスメートやチームメイトたちのように、彼の側によることも、またその場を離れることも出来なかった。私と彼の間はある距離は2メーターもなかったと思う。でも、その2メートルは永遠に縮まらない2メートルだった。私みたいなただの観客は立ち入りできない高校球児の聖域。夏は、高校野球は、誰のものでもなく、選手のものだと思った。残念だけど入り込む余地はない。 この試合を見たことを境に、私の公立校に対する過剰なこだわりが消えた。今まで見ていた強豪校の野球も高校野球だが、ここにあるのもまた野球だなと思えた。 勝った、負けた、レベルが高い・低い、そんな基準だけで野球を見るのはもったいないなと思った。みんな一生懸命なのだ。球児の数だけ夏があるのだ。
追伸:後に、彼の担任をしていたという先生とお話する機会があった。彼は練習熱心で野球に対して真剣だったと教えてくれた。現在は奈良県内の大学に通っているようだが、野球をしているかどうかはわからないという。
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