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あるこのつれづれ野球日記
あるこ
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2001年09月20日(木)
孤独の影


 せっかくフリーなんだから、平日を有効に使うために野球を見に行こうと思った。今日は、西京極球場で社会人野球がある。昼と夜が逆転している生活を何とか改めるべく、早起きをして地下鉄に乗り込んだ。
 第一試合はすでに4回まで進んでいた。プロ野球選手も輩出している滋賀県下にある専門学校と京都の企業チームとも対決だった。体格もなにもかも違いすぎる。でも、そんな中で試合が出来るのは専門学校に生徒にとってはとても有益なことだと思う。試合内容も書きたいのだが、今日は第二試合に登場したチームに在籍しているある元プロ野球選手に焦点を当てたいと思う。
 この数年著しくプロアマ規定が緩和されてきている。その傾向の一つが、元プロ野球選手のアマ球界への復帰だ。ここ1,2年で数人が社会人チームのプレーヤーあるいはコーチとして第二の野球人生のスタートを切っている。私の記憶する限りでは、プロアマ規定が出来てからアマ球界への復帰第一号は、元阪神の林純次投手であるはずだ。某雑誌でのインタビューで、初登板のときに浴びた辛辣なヤジについて話していたが、世間には厳しい視線があるのは否定出来ない事実であろう。その選手が一人入ることによって、確実に別の一人が野球への道を断たれるからだ。
 元プロ野球選手の話はいろいろなところで見聞きしている。でも、その大半が転身の成功例である。ところが、実際は一般社会になじめなかったり、裏方に仕事にプライドが傷ついて球界を離れる選手も多いはず。このアマ球界復帰もしかりである。復帰を果たしたチームで元プロの経験を生かして、熱心に練習に取り組んだりして、チームのお手本になるような選手や元プロというプライドを本当に意味でかなぐり捨てて野球が出来ることに素直に感謝出来る選手もいるだろう。しかし、実際、華やかなプロの世界と不景気のあおりを受けている社会人野球の世界とはあまりに違いすぎる。中には一軍を経験出来なかった選手もいるだろうが、昨今のファームも設備はいいし、野球をするための環境は十分に整っている。野球に専念すればよかった生活から、仕事との両立、野球は生活のすべてから生活の一部に変わる。試合だってそれほど観客が足を運んでくれるわけではない(今日の観客を数えたら、57人だった?!)。
 むしろ、馴染めなくて当然ではないか。
 前述した選手は、セ・リーグ2球団を渡り歩いた一軍半の選手だった。甲子園にも出場した投手で、当時はそこそこ話題になった選手だ。18歳の秋にドラフト3位指名を受け、プロ野球選手になった。なまじっか器用だったためか、投手から野手、野手から投手と何度となくコンバートをされた。プロでの成功の是非はその大半が能力以外の要素が原因なのではないかと思う。その選手は今、投手として登録されている。
 おかしいなと思ったのは、試合が中盤に向かったころだ。自チームの攻撃が終わってもベンチに入らないのだ。投手なのだからブルペンにいるのかと思ったが、ブルペンには別のピッチャーがキャッチャーを座らせて投げ込みをしている。彼は、何をするでもなく、そこに立っていた。サードコーチャーの斜め後ろ辺りが彼のポジションだった。見ている限り、チームメートと話すことも皆無だった。ときおり、話しかけようと側に寄ってはいたが、タイミングを逸しているようにも見えた。そしてまたチームメイトから離れていく。チームメイトも特に彼に話しかけることもなかったし、ベンチ内もほとんど声がなかった。監督らしき年輩の男性がときおり彼に話しかけいた。しばらく話し込むとその人はベンチに戻ったが、彼の足がベンチに向くことはなかった。もしかしたら、そこにいることが彼に科せられた何かの役割なのかもしれないが、どうもそういう風にも見えなかった。
 彼自身、苦しんでいるのかもしれない。プライドと孤独の狭間で。どうやってチームになじんだらいいのかわからない。ふいに投げ出してしまいたくなるときすらあるかもしれない。その葛藤が彼の足をベンチに向かわせないのであればそれほど苦しいことはない。元プロのアマ復帰はかかなりの精神的リスクを伴う。とりあえずは結果を出していくしかないのか。
 昼さがり、誰もいなくなったブルペンに彼の影が色濃く映っていた。