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2001年10月06日(土) ■ |
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ちょっと待った!プラス思考 |
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スランプというものは、足音を立てずに突然やってくる。特にこれといった原因はが見当たらないのが大半だが、私個人は実は「これ」とうものがあるのではないかと思っている。ただ、それがあまりにささいで微妙なので、分からないもしくは気付かないのに過ぎないのではと。 どうも、私は「スランプ」に陥っているようだ。 いつになく神経質になってみたり、妙に落ちこんでみたり、また変に開き直ってみたり…。注意力散漫で文字の打ち間違いが激しかったり、物忘れもひどい(友人知人に言わせたら「いつものことやん」、かもしれないけど(^^;))。冷静になれば、「なんてことをしてしまったのだろう」と自己嫌悪に陥る。やることなすことがドツボにはまっていくばかりで、何をやってもうまくいかない。なんか、連続エラーをしてしまった野手の心境ってこんな感じなんだろうな、と思ったみたりして。こんなときですら、野球から離れられない自分に嬉しくもあり悲しくもある。 野球に限らないのだが、スポーツは「メンタル面」が重視される。ピンチのとき、チャンスのとき、自分はどうあるべきか、どう考えて、どういう心構えでプレーをすればいいのか。おそらくそういうものことをいうのだろうと思う。その多くが自分や状況に対していいイメージを持つ「プラス思考」に起因するのではないかと思う。確かにプラス思考で気持ちは軽くなるし、持っている力あるいはそれ以上もものを発揮できる。 しかし、「ちょっと待った!」と思う。 ホームページのプロフィールをご覧頂いた方ならすでにご存じだと思うが、私は教員免許を持っている。大学4年の9月に市内の女子校で教育実習をさせていただきた。そこで印象にのこったことがある。 科目は宗教。受験に関係ないこともあって、実習担当の先生は、「1時間自由に使っていい」とカリキュラムを任せてくださった。本当なんでもよかった。そこで私は好きな高校野球を絡めて、「プラス思考の大切さ」をテーマにしてカリキュラムを作った。授業を行う前に先生のチェックが入る。実習とはいえ、やはり「教師のやる授業」である。先生にも責任はのしかかる。私のカリキュラムに一読して、先生が言った一言。 「君はプラス思考というけれど、世の中にはプラス思考になれない人もいるんだよ。性格的なものもあるし、思想的・環境的なものもある。そういう子が教室にいるかもしれない。その子がこの授業を受けたらどう思う?「プラス思考にならなければいけない」と自分を追いつめたりしないとも限らないよ」。 びっくりした。一種の「へりくつ」かもしれない。でも、今思ったら、私はプラス思考の本当の意味を理解出来てなかったのかもしれない。先生はその甘さを指摘したのだろう。私はその先生の言葉に「そうかもしれない」と思った。かくして、私のカリキュラムは練り直しとなった。 本当のプラス思考ってどういうことなのだろう。今でもそれは分からずにいる。楽天主義やいい加減とも違う。今の私は、あのとき私がカリキュラムに書いた「プラス思考」がどうしても出来ない。もし今の私が教室で当時の私の授業を受けたら間違いなく追いつめられていたと思う。 人を変えるなんて簡単にできない。 今日は野球と関係ない話になってしまった。しいていえば、指導者と呼ばれる方々に選手に応じた指導をお願いしたいということだ。けっして型にははまないで欲しい。
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