
|
 |
2001年10月10日(水) ■ |
 |
言葉〜お詫びにかえて〜 |
 |
こんにちわ。 実は数時間前まで、ここに別の内容の日記が記されていました。ですが、ある方からのアドバイス等がありまして、「これは読者様にご覧頂くにはふさわしくない内容である」と判断し、削除されていただきました。 つきましては、該当関係者のみなさまならびにここを開いたがために駄文を読むに至ってしまった読者のみなさまに深くお詫びを申し上げます。
言葉というものは、本当にすごい力を持っています。昔、国語の模擬試験で出題されたエッセイに、「文章を書くことは恥をさらすことである」と書かれていましたが、まさにその通りです。書いてある内容はもとより、その作者の心をも映し出してしまいます。すばらしい作品なんだけど、いまいちしっくりこなかったり、素直に納得できない作品があったりします。物事を斜に見てしまっているのかもしれないのですが、そこにある傲慢さみたいなものが見えてしまうのです。みなさんにも経験があるかもしれません。また、逆に「作者が楽しんで書いているんだな」ということが文章から伝わってくるときもあります。そういう作品はたいてい読んでいて楽しいです。読者の方って、もしかして内容と同じくらいその行間ににじみ出ている作者の感情をも汲んで読んでおられるのかもしれません。今回ご指摘を受けたのも、その行間に私が「冷静になれないヒステリックな状態を文章に八つ当たりした」のを見透かされたのではないかと考えています。 言葉は何もかもを包み込んでくれる温かい母の胸にも成りうるし、また人を残酷に打ちのめす凶器にもなります。願わくば私は、「母の胸」になりうる言葉を発したいと思いました。
先日、あるテーマパークに行った際、おみやげ屋さんで「ためになる言葉」を書いてひのきの板を購入して、パソコンの前に置いてあります。しかし、早くもそれに逆らってしまったようです。今度こそは肝に銘じて。
「言葉」
一つの言葉で けんかして 一つの言葉で 仲なおり 一つの言葉に おじぎして 一つの言葉に 泣かされる
一つの言葉にはそれぞれに 一つのいのちをもっている。
ことばは心のカガミです。 たいせつに使い、よく聞きましょう。
※野球に全く関係ない話で申し訳ありません。
|
|