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2001年10月22日(月) ■ |
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その日が来るまで待っている。 |
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まだ確信できない情報を元に話を進めるのはあまりよろしくないのかもしれない。しかし、こんな時代だから今後も起こりゆることであるという推測の元、話を進めていきたい。
先日、各球団から戦力外通告の選手の名前が公表された。我が阪神タイガースにおいては、若手を中心としたストイックなものだったなと私個人は思う。その若手の中に、寺田祐也選手の名前があった。98年、ドラフト5位で静岡高校から阪神タイガースに入団した内野手。高校通算1失策という堅守をひっさげての入団だった。課題は打力。「阪神に多いタイプの選手やなあ」、寺田選手のことを初めて知ったときはそう思った。2000年春、縁あって鳴尾浜にファームの試合を見に行った。そのとき、ショートを守っていたのが寺田選手だった。雨が激しく降りしきり、グランドはずぶぬれ。とてもゴロをさばけるような状態ではなかった。相手、サーパス神戸のバッターが打ち上げた打球がフラフラァ〜と外野に上がった。レフトの選手はあわてて、捕球位置を見定める。そんなときだった。なんの関係もない寺田選手が、ショートの守備位置でどてっとこけた。ひどいコンディションで変にハイテンションだった私は、「なんや吉本のギャグみたいやなあ」と失礼きわまりなりことを思った。でも、何故かとてもほほえましくかったし、そんな寺田選手の本来の堅守をこの目で見たいと思った。 動機はきわめて不純だが、私は寺田選手のファンになった。でも、素人目で見ても、厳しいのは明らかだった。いつかは戦力外になる。そうは思った。けれど、まさかそれが今年だとは思わなかった。まだ入団3年目、21歳。かたや華々しく活躍する21歳もいれば、たった3年で見切られてしまう選手もいる。このシビアな現実。以前にも一度書いたが、私には球団を批判する筋合いも権利もない。気になるのは、これからの人生をどうするのだろうかということだけだった。 今日、相方に「寺田は某大学(大学名は伏せます)に行くみたいやで。指導者になりたいねんて」と聞かされた。意表をついた進路選択だなと思った。戦力外通告をされた若手が選ぶ道。他球団にテスト入団、社会人野球の選手としてアマ復帰、打撃投手等の球団スタッフ、野球から足を洗う。私にはそれくらいしか浮かばなかった。静岡高校という進学校を卒業している以上頭はいいんだろう。来春大学に進学して、4年で卒業、2年間の教員生活を考えても、20代の間にアマの指導者として現場で活躍出来る。若いし、充分やり直しがきく。いい選択かもしれないと思った。 ここでひとつ疑問。 「元プロ野球選手が大学で野球部に入って選手として活動できるの?」 今まで、元プロ野球選手の社会人野球でもアマ復帰や、社会人野球を経て大学野球の選手になった人はいる。しかし、前述の疑問を解決してくれるような例を私は知らない。もし、可能であれば、もう一度寺田選手の勇姿を見たい。応援している選手はどこにいてもがんばって欲しいし、その姿を見ていたいものである。 しかし、こうとも思う。 「もし、大学側が門戸を開いてくれても果たした彼は入部するだろうか?」 元プロ野球選手、風当たりは決して優しいものではない。試合に出てもエラーしたり打てなかったりすると、とんでもないヤジが飛ぶかもしれない。また、下手したら試合にすら出れないかもしれないのだ。そのときの気持ちを考えたらいたたまれなくなる。ま、これに関しては私の考えすぎかもしれない。しかし、先日の社会人野球の試合で元プロ野球選手の孤独な姿を目にしているだけに、そういうことまで考えるようになってしまったようだ。 どうであれ、寺田選手の第二の夢である「指導者になりたい」という夢を1ファンとして応援したい。プロで成功できなかった。その苦い経験は指導者としてなら必ず生きるはずだと信じている。 その日がくることを心より楽しみにしている。
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