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2001年10月24日(水) ■ |
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「下山」の意義 |
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今日、登山をした。 秋晴れの一日。運動不足の私を気遣って、相方が誘ってくれたのだ。このところ体調が思わしくなかったこともあり、普段より輪をかけて運動不足だった私は、漠然と「ああ、運動せなあかんねんな」と思い、誘いに乗った。別に「登山がしたい」と心から思っていたわけでない。むしろ、登山は嫌いだ。「若いころの苦労は買ってでもしろ」と言われるが、苦労なんてできればしたくないと私は思う。運動能力に劣る私にとって、登山は苦労のカテゴリーに入る。 登りはきつかった。坂道を一歩ふみしめるたびに、心臓の鼓動が早くなり、足が重く、腰が痛かった。坂道はいつまでも続いた。一体どこまで続くのかと思った。ほんまに「もうええわ」と思った。でも、一度登り始めた以上、ここで立ち止まるわけにはいかない。休み休みではあったが、どうにか山頂まで到着した。疲れやそれまで感じていた苛立ち・悲壮感が一気に吹き飛んだ。風が気持ちよかった。さあ、あとは下りだけだ。気を抜いたわけではないが、気楽な心構えでいた。 しかし、大変なのは「下り」だった。登りに比べたら楽。そういう気持ちでいた私にとっては予想以上にこたえた。急な坂、足場の悪い道…。一歩踏みしめるたびに足首にかかる負担。滑ってこけないようにすり減らす神経。辺りには大きな石や木が横たわっている。打ち所が悪かったら本当にやばい。生命の危機すら感じた。登りはめちゃくちゃしんどい。死にそうとも思う。でも、自分のペースで調整を怠らずに進めば、生命の危機といえるようなことに遭遇することはまずない。 人生はしばしば登山に例えられる。それがよくわかる気がした。その多くが登りに重きを置いているが、実は大切なのは下りかもしれない。野球観戦に限って見てみても、下りで苦戦もしくは失敗している選手やチームは少なくないと思う。そういえば、横浜高・渡辺監督の著書にこのような一文がある。…「甲子園 無事に下山してこそ征服という」。 人生の登山口にいる私が言うのも何だけど(苦笑)。 参考資料:「白球は奇跡を喚んだ〜松坂大輔と青春群像〜」 渡辺元智著・報知新聞社
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