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あるこのつれづれ野球日記
あるこ
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2001年11月02日(金)
想い出皇子山球場


 ここ2,3日、掲示板を見ていたら、「皇子山球場が今季終了後閉鎖し、来年には改修工事に入る」とあった。
 
 私は何とも複雑な気分だった。失礼を承知で言えば、並々ならぬボロい球場。一歩足を踏み入れたら昼でも足場が暗く、いつ怪我人が出てもおかしくない。そんな感じの球場だ。

 「いつか改修されるだろう」ともう何年思ったかしれない。それでも、一向に改修されることなく、今日まできた。

 「いよいよか」
 私は、パソコンの前で小さなため息をついた。私の野球経歴は、「皇子山球場」とともにあったと言っても過言ではない。

 皇子山球場。滋賀県大津市にある「皇子山公園」の施設の中に組まれている野球場だ。主に滋賀県の高校野球の公式戦で使われている。数年前までは、県のメイン球場だったが、最近彦根球場ができ、メインの座をあっさり明け渡してしまった。それからはどんどん寂れて見えたのが、なんとも言えなく切なかった。

 両翼90数メートルの小さな地方球場。内野スタンドは石段になっている。スコアボードが電光であることが唯一の救い。場内の照明設備が不十分で、夜、ともきちと二人で電気の点いていないトイレに行ったときは、マジで泣きそうだった。
  
 ナイターは6基あったと記憶している。外野周辺は異様に暗く、それ故にピッチャーに異様に明るいスポットライトが当たったようになり、その場を浮遊した幻想的な雰囲気を醸し出していた。
 
 最寄駅は、JR湖西線「西大津駅」。京都駅からだと10分程度で来れる。駅からも徒歩10分程度。どんよりとした外壁は、そんな人を寄せ付けない雰囲気が漂っている。

 本当にここが長年滋賀県の夏を彩ってきたところなのだろうか。また私が見たあの試合もこの試合も、本当にここでの出来事だったのだろうか。
 そんな疑問が湧くほど、人を遠い昔においやってしまう。「なつかしい」と言えば聞こえはいいが、そういうぬくもりとはまた違う。

 実は、ここ皇子山球場は私の自宅からもっとも近い球場であり、また生まれて始めて野球を見たところなのだ。
 
 見た、というのは正確な表現ではないかもしれない。まだ小学校に上がるか上がらないかの頃、父と皇子山に遊びに来ていたとき、ふらっと立ち寄ったのだ。父はそれほど野球に興味のない人間だったが、たまたま母校が出ていたから、幼い私の手を引いて、球場に足を踏み入れた。
 
 私の記憶は、石段を走り回っていた、程度しかない。父から、この話を聞いたのは、ずいぶん後になってからのことだ。私が生まれて初めて見た試合は、大学野球のリーグ戦だった。

 次に皇子山球場に足を運んだのは、高校1年の秋だった。この年、皇子山球場では、センバツ大会出場校を決める近畿大会が行われていた。
 
 高校のクラスメートだったともきちにつきあって、地元東山高校の試合を見た。延長13回、負けた。「負けたら、カバン、投げつけんねん」と言っていたともきちは、石畳の上に10円玉で厚さを縮めた学生カバンをたたきつけた。
 
 負けたのは悔しかった。でも、それ以上に感動した。
あの日があったから、今の私がいる。
 あれから、10年が経つが、あのカクテル光線とナインの姿は強く印象に残っている。

 球場内に入ったのは、大学生のときだ。野球サークルの女子マネジャーというものをやらせてもらっていたときに、チームはリーグで優勝して、大きな大会に出ることになった。
 
 その時の大会会場が、ここ皇子山球場だった。先輩マネジャーが講義のため来れないとのことで、私がベンチに入ってスコアをつけた。ベンチから見るファウルグランドはとても広いと思った。
(余談だが、昨日の日記「ファウルボールと私」で、私がボールに当たったのは、この皇子山球場の真横にあるグランドだった)

 ここ数年は、東山高校の練習試合でお世話になっている。毎年、6月中旬から下旬にかけて、滋賀県の学校と平日ナイターでやる。試合前、滋賀県のチームがグランド内で写真撮る。電光掲示板に全員の名前を載せて、パチリ。どうやら卒業アルバムの部活動写真の一枚を飾るもののようだ。
(そのくせ、試合では電光掲示板を使ってくれないのが心憎い)

 いつだったか、試合途中に大雨が降った。私とともきちはふと空を見上げた。すると、ナイターの光に照らされた細雨が私たちにむかったふり注いでいた。壮絶な光景だった。私もともきちもその細雨に心奪われていた。雨が見える。とてもきれいだった。ガラス細工のような、キャリアウーマン系の女性がつけている小さなピアスのような…。とにかく澄んでいた。
 今でも、私とともきちの間で、皇子山の話題になると真っ先に出てくる。

 そんな細雨に心奪われながらも、印象的だった光景がある。
 内野スタンドでファールボールを拾う係だった1年生部員が、細雨をものともせずに、じっと立っていたのだ。試合は中断している。ファウルが飛んでくることはない。にもかかわらず、である。
 

 真っ白な練習用ユニフォームを着たその選手は、まだあどかなかったが、雨に打たれても微動だにしなかった姿は凛々しかった。
 
 2年後の今夏、一ケタ背番号を背負っていたが、代打で2試合出たに過ぎなかった選手がいた。夏直前で勢いをつけてきた下級生に、ポジションを譲った形となった。セカンドライナーと四球。
 あの日、雨に打たれていた1年生部員の最後の夏の全てだ。

 長くなってしまった。
 とにかく、私と皇子山球場は切って切れない縁でつながっているような気がしてならない。

 とりあえず、取り壊しの前に写真でも撮りに行こう。
 
 何故か、新生・皇子山球場でこけらおとしの試合を観戦している自分の姿が浮かんでる。