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2001年11月03日(土) ■ |
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懐の深さ |
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学生時代、「小説家になりたい!」と一発発起して、地元の文章教室とやらに通っていた時期がある。
私は全然知らなかったのだが、講師の方は年輩の作家だった。自分の書いたものを講師に見せて、アドバイスをもらうというのが主な講義スタイルだった。 私は野球について書いた原稿用紙3,4枚程度のエッセーを提出した。今になってはどんな内容のものを書いたかは全く覚えていない。しかし、アドバイスされた内容は明確に覚えている。
「君はなんでもかんでも書きすぎなんやな。もっと読者に余裕を与えないと、読み辛くてしゃーない。読者はな、文章を読んで、その状況を想像し、自分なりの思いを巡らせて、楽しんでいるんや。だから、詳しく書き過ぎることは、その想像をさせないことになってしまう。読者を縛り付けるんやな。わかるか?」
その教室に通ったのは、ほんの数回だったが、このアドバイスをもらったのは大きいと今でも思っている。
文章の捕らえ方は人それぞれだ。だから、どこを見てもらってもいいように文章力を磨いて、読者に提供することが大事なのかもしれない。
日本球界が生み出したすごい選手の一人に、メジャーで活躍する「イチロー選手が」いる。今日、友人と会っていて、ふとイチローの話になった。 高校野球を野球の入り口としている私にとっては、イチロー選手は、オリックスのイチローでもマリナーズのイチローでもなく、「愛工大名電の鈴木くん」という印象がある。 当時から他の高校球児とは一線を画す雰囲気はあったが、今や「世界のイチロー」となっていることに、「あの鈴木くんとほんまに同一人物?!」と軽い動揺におそれれるときが何度となくある。
確かにすごい選手だ。記録、考え方、醸し出すオーラ…凄すぎて、正直、どれだけ凄いのかわからない。また、クールそうに見えるので、「別に私が応援しなくてもいいわ」と、特別な関心はなかった。
「イチロー選手をどう思う?」と人から訊かれたら、私は「懐の深い選手」と応答える。そう思ったのは、あるときイチロー選手が話していたことがひどく印象的だったからだ。
レポーターや記者に「ファンに見てもらいたいところはそういうところですか?」と訊かれると彼はこう答えるという。
「それは見ているファンに決めてもらいます。足がいいのなら足を、肩がいいのなら肩を、バッティングがいいのならバッティングを、というように、その人がいいと思うところを見てもらえばいいです。僕はただプレーするだけです」
この話を聞いたとき、私は心から「イチロー選手ってすごいんだ」と思えた。そして、多くの野球ファンを虜にしているのもわかるなあと思った。
そう。イチローは、ファンにみどころを探す自由を与えてくれているのだ。だから、私のように彼の発言に魅力を見出すことも許されるのではないかと思っている。プレーなんてほとんど見てないのに、「すごい」という発言をするのはひどく無責任かもしれないが、イチロー選手にはそれを許してくれる懐の深さがある。
そんなことを考えていたら、冒頭に出ている文章教室での出来事を思い出した。 あれから数年経った今、私は読者に想像してもらう自由を与える懐の深さを持った文章を書けるようになったのだろうか?…答えは「否」。いや、それすら自分が判断すべきことではないのかもしれない。
文章界のイチローへの道は遠くて険しい。
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