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あるこのつれづれ野球日記
あるこ
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2001年11月10日(土)
(野球日記なのに何故か)登山トーク2


 今日、また懲りもせずに相方と山に登ってきた。 
 実は、今回の山は地元の山で小学校のときに適応遠足(あ、地元がどこかばれるっ!)という名の全校登山で年に2回程度登ったことがある。元々運動音痴で山登りが苦労のカテゴリーに入るとは以前に日記に書いた。その上、小学校時代いい思い出はなく、出来れば黒い油性のペンで塗りつぶしてしまいたいと思っている私にとっては鬼門だった。
 
 なんで、OKしたんやろ…いきしなの電車の中ですでに激しい後悔に見舞われていた。

 最後に登ったのは、小学校6年生の秋。今から14年も前のことだ。

 ルートは小学校時代の逆を行った。だからか知らないが、びっくりするくらい記憶がなく、それは生まれて初めて登る山と同じだった。
 「そういえば、ここ…」とかすかに記憶が戻り始めたのは、山頂に着いてかただある。10人いれば窮屈になってしまうような小さな小さな山頂。眼下に広がる家はおもちゃの積み木のように建ち並んでいる。

 側にあった木の幹の上に腰掛けて風に吹かれていた。
 まさかもう一度来るとは思わなかった。大嫌いな小学校時代の思い出の場所へ、大好きな人と一緒に来ている事自体が奇妙ではあったが、これでイヤな思い出が一つ精算されたように思えた。

 山頂にはすでに人がいた。無線で誰かと会話をしていた。アマチュア無線愛好家だと思うのだが、山頂に来たことを誰かに伝えたかったのだろう。山のことにも詳しいようで、この山について話をしているようだった。興味そそられたので、聞き耳を立ててみた。

「いやあ、ここは山の甲子園ですわあ」

 声の主は確かにそう言った。

 ― 山の甲子園??

 まさかこんなところで「甲子園」という言葉を耳にするとは思わなかったので、会話の続きに興味津々だった。
 「甲子園」と言えば、たいていは「そのジャンルでの全国規模のイベント(大会)、もしくはその物自体が全国級であること」を示す(広辞苑もそろそろ「甲子園」の別釈つけてもいいと思う←あ、もうつけてるかも)。
 この山がまさか全国レベルとは思わない。標高は600メートル弱。ごくありふれた山岳の一つだ。それが、なんで「甲子園」なんだろう…。

「いや、水はけがものすごくいいんですわ。ずっと登って来て、湿ったところやぬかみなんたほとんどなかったんですわ」

 地元は昨日の晩雨が降っていた。にもかかわらず、その方がおっしゃる通り、湿ったところもぬかみの皆無だったのだ。そのおかげで、しんどかったが、足元を取られることなく登ってくることができた。

 そういえば、甲子園球場は水はけの良さでは他球場の群れを抜いている。こういう例えを聞いたのは初めてなので驚きはしたが。「甲子園」は私が思う以上に人々の生活に根付いているんだなと、一種の感動を覚えた。

 帰りは小学校時代の登りに相当する。記憶が段々鮮明になってきた。下りですらきつくこたえたのだが、これを小学校時代は登ってたんだと思うと、「ようがんばったなあ」と昔の私に声をかけたくなった。

 年月はいろんなものを変える。
 終盤の道は、アスファルトで舗装されていた。ときおり車も通る。足が断然楽になったのか、精神的余裕が生まれた。
 
 「ここで、怖い話されて泣きながら帰ってきた」とか、「あそこで薪を取ってきて、飯盒炊さんしてん」。 
 忘れていたはずの昔の思い出が、次から次へと口についた。

 誰に決められたでもなく、時間に縛られるでもなく、心のままにアスファルトを踏みしめる。そうすると昔は見えなかったものが見えてきた。

 川の瀧は、白い筋を立てて鮮やかに流れ、透明の水に手をつけてみると、とても冷たい。道の脇では雪のように白いキノコが生えていて、石の階段を登ると、石像に込められた人々の慈しみを感じた。
 
 自然は変わらずそこにある。
 でも、昔の私には全て見えなかった。ただ一歩一歩を踏みしめて、頂上を目指すことが全てだった。足が遅い私はいつも最後尾にいた。先生が監視している。道ばたでささやかに存在している光景に目をくれることは許されなかった。

 ふと野球のことを思った。
 タイムマシーンがあって、昔見た野球を今見たらどう思うのだろう。きっとその時見えなかったものが見えてくるような気がする。そして、違った楽しみ方が出来るはずだ。

 14年前、野球界では何があったのだろう…。
 ふとそう思った。

 
追伸:一山越えたあとの一杯はおいしい。大人になってよかったと思う。昔、登山がただ苦痛だったのは、「一杯」を知らなかったからかもしれない、とか思ったりして(苦笑)。