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2001年11月30日(金) ■ |
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わかっちゃいるけど、やめられない。 |
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阪神タイガース球団とは面白いもので、「チームが弱い方が儲かる」のだという。私も頭の隅に知識としてあるし、実際、優勝を目前にして「勝つな」みたいなことを言われた選手もいたと記された記事も目にした。
阪神タイガースは、特殊な球団だ。それ故に、弱くても客が入る。私もその一人だ。今年は10試合強といつになく頻繁に足を運んだ。阪神がいつまでたっても強くなれないのが、弱くてもファンが球場に足を運ぶから危機感を覚えないことが原因だと言われたら、間違いなく私はその戦犯の一端を担っている。まんまと阪神球団の商法にはまっているのだ。
本当にチームのことを思うなら、弱いときは心を鬼にして球場に足を運ばずに選手や球団に危機を持たせるべき。むろん正論である。
しかし、私は弱い今の状態が好きだ。 対戦カードもなるだけ観客が入らないようなカードを選ぶ。外野席の最上段を陣取って、荷物をおき、食べ物を並べ、足を伸ばして観戦する。それくらいゆったりろスペースが取れると気持ちよく観戦ができる。大体、球場の観客席は狭すぎると思う。
いつだったか、そんな阪神にも「あまりに弱いから観客が来ない」という時期があった。おりしも新庄選手が大不調で、応援団は新庄の打席のときだけトランペットを吹くのを止めていた。今思えば、それも一種の愛情表現なのだが、当時は「なんで応援しぃひんの?」と頭に来て、観客まばらな外野席で相方と二人、静かなスタンドに新庄のヒッティングマーチをアカペラで響かせた。
すると、一人また一人とアカペラに参加してくれた。新庄選手にヒットが出た。それを見た応援団が、トランペット演奏を再開した。するとその次の打席で逆転打が出て、そのまま阪神は勝った。小雨の中、枯れた声で六甲おろしを熱唱(?)したのを昨日のことのように覚えている。
私はこの試合で初めて、「声援を送るとはどういうことか」と知った。今でもあのとき、新庄選手はスタンドの応援に応えてくれたんだと実感している。新庄選手は私に「ファンの存在意義」を教えてくれた貴重な人物だ。
私の感覚が多少おかしいのかもしれない。でも、弱い阪神タイガースは応援のしがいがある。そして、チームと自分との距離がちょっとだけ縮まったような心地よい錯覚を起こさせてくれる。
来年も大幅な戦力アップは期待できない、口では、「今年は優勝するで」とか言うけれど、実際はよくて4位か5位だろう。
でも、それでも私は、ふらふら〜と引き寄せられるように甲子園に足を運ぶだろう。たとえそれが選手やチームを甘やかすと分かっていても、どうせまた負けるやろうと思っていても、好きなものはしょうがない。
弱い球団は他にある。阪神よりファンサービスの充実した球団やマナーのいい応援団もある。
それなのに、ただ面白いからと言って、そんなチームを無視して、球場に足を運ぶのは、結果も残していない、努力のあともみられない球団を図に乗らせるだけだ。不平等、理不尽、だから日本野球は…。わかる、わかる、よくわかります。私も日本の野球の発展を願っています。でも、私はどうしても阪神なんです。何故かはわからないんです。
そう強いていえば、「阪神だから」とでも言っておきましょうか。
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