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| 2001年12月07日(金) ■ |
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| 球界ライン作業 |
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私は、この6月まで呉服屋で営業事務をしていた。アクが濃い会社と社員たち。色々あったが、カチンと来た言葉の一つ、担当の営業社員が言った一言を今でもよく覚えている。
「作業ではなく、仕事をする」
この会社では、幹部から何からこれを信じて疑わない。この一言を口にしただけで、「あ、この人はしっかりしている」という空気が流れる。きっと社長の方針なんだろう。
株式会社ではあるが、会社のカラーは実質的には個人商店だった。コンピューターを始めとする機会類はほとんどない。伝票記入、値入れ、商品の札付け、発送するための荷造り、来客の対応、得意先との電話でのやりとり、掃除、展示会の準備・後片付け…。とても忙しい部署だった。だから、効率よく仕事をしなければならない。そのためには、段取りや順序を考え、またよりよい対応が求められる。そういう頭を使うものを仕事、頭を使わないものを作業というらしい。
待てよ、と思う。 作業は頭を使わないだって?
そんなセリフ、そのまま、郊外の工場でライン作業をしている人に吐ける? きっとケンカ売ってんのかと立腹されるか、何も知らないんやあざ笑われるだけだ。
作業は、頭を使う。 いかに能率よく、作業をするか、1秒、いやそれ以下の単位の時間を無駄にしないために、作業工程はしっかり為されている。そして、ラインに商品を流すタイミングもかなり神経を使う。遅すぎたら、働いている人はだれるし、一日のノルマは達成出来ない、また早かったら、ラインはスムーズには進まないし、生産効率も落ちる。
また、作業は精神的にも滅入る。やってもやっても終わらない同じことの繰り返し、話すことも出来ないし、いつも時間や商品に追われている。余計な感情を入れず、自分を機械化するように心がけなければ、正直かなりきつい。早く(作業を)しなければ、それは強迫概念になることもある。
ふと、今の野球界もそうなのかなと思った。商品があふれるように流れてくるライン状態。それほど多くない作業員は、目先のことに精一杯で。とても作業は進まない。「とりあえずは」と、いう無責任対応をする。
どこかで、止めなきゃいけない。分かってる。でも、商品は流れてきているし、自分のせいでラインを止めるわけにもいかない。
野球界の悪しき伝統やルールがまかり通るのは、そういうライン現場と似ている。このままじゃいけないのは誰だってわかってる。でも、目の前には山盛りの商品(問題)。とても対応でききそうにない。とりえあず、次に回そう。そういう気持ちの余裕のなさの繰り返しが、悪循環に拍車をかける。
工業のラインは止めちゃいけないけれど、野球界のラインは誰かに勇気を持ってスイッチを「OFF」にしていだきたいところだ。
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