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| 2001年12月10日(月) ■ |
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| 心の中で生きるということ。 |
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一昨日、大阪京橋の紀伊国屋で、「ダイエー・藤井将雄物語」という本を見掛けた。思わず手に取り、レジに向かった。今日は、読書の日をしようと派遣の会社に欠勤の旨を伝えると、昼過ぎに本をリュックに忍ばせて、揺れの激しいローカル線の中で読んだ。私の場合、読書は家にいるときよりも、出先での方がはかどる。
ダイエー・藤井将雄投手は、故人である。1年前の10月に肺ガンで息を引き取った。
私が藤井投手の死を知ったのは、静岡に住む友人に会いに行くために乗っていた新幹線の車内に流れたテロップによるものだった。私は同投手を特別知っているわけでも、ダイエーファンでもない。でも、その訃報は衝撃的だった。数年前脳腫瘍で亡くなった津田恒美投手のことがふと脳裏をよぎった。これから逢う友人は、ダイエーファンだった。どういう顔をして行ったらいいかわからずに、静岡まで胃袋に鉛を入れたような重い気分をひきずっていた。
この本は、ご家族の回顧や取材、そして同投手が長年に渡って交際していた女性の手記で構成されている。藤井将雄という人間を多方面から垣間見ることが出来、こまめに段階が分かれていて読みやすかった。亡き選手のご遺族が手記的なことを書いている本はいくつかあるが、このような方式がとられているものは、初めて見た。
この本を読んで、心の中で生きるとはどういうことなのだろうと考えさせられた。
例えば。 藤井投手の将来の夢は、「少年野球の監督になること」だった。そんな彼は、オフにはふるさと・唐津で「藤井将雄少年野球教室」を開催していた。そして、彼が亡きあともダイエーの選手により、運営は続行されている。ご家族は、本の印税の一部をその野球教室の運営資金にあてるという。
例えば。 藤井投手は、何よりも野球が好きだった。辛い闘病生活も、野球が出来るようになるためにと頑張った。(最後は、引退を決めたのだが)そして、福岡ドームの15番ゲートは「藤井ゲート」を名付けられた。
例えば。 彼の存在は、家族や恋人や仲間やファン…。たくさんの人々を勇気づけ、愛し愛された。 彼のホームページは、彼が亡き今も、多くの人で賑わっている。掲示板に書き込む方の多くが、「藤井さん、みなさん、こんばんわ」という書き出しをしている。
例えば。 生前はほとんどその存在を知らなかった私のようなファンが、彼の本から学ぶことが多かった。
自分の周りの誰が欠けても今の自分はなかった。だから全ての人に感謝したい。 という言葉には本当に頷けた。 自分を変えることで、病気を治してみせる。 その言葉に、人生って自分との戦いなんだなと感じた。
ドラマや小説で使い古された言葉、「心の中で生きている」。 今まではあまりに漠然としすぎていて、よく分からなかった。筆者の自己満足的手法だとすら思った。大切な人を亡くしたことのない私には到底分からない心境だと思った。
でも、今日、この本を読んで、それが分かった。 文中には、藤井投手のふるさとでもあった唐津の海が良く出てくる。彼は海が好きだった。大人になっても、よく海を見ていたのだという。海を見つめ、何を思い、どういうことを考えていたのだろうか。 私も唐津の海を見に行きたいと思った。
追伸:藤井投手のHPには、生前に書かれた日記が残っています。言葉が柔らかで、愛情をにじみでているような文章がちりばめられています。心に響く言葉もたくさん出てきています。まだ御覧になられていない方は、一度訪問されるとこをオススメします。
参考文献:「宙を舞った「藤井ハリー」 ダイエー・藤井将雄物語」(勁文社・藤井正子・マリ子著)
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