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あるこのつれづれ野球日記
あるこ
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2001年12月14日(金)


 私は鉄の涙腺を持つ女だと自覚している。だから、めったなことでは泣かないし、一目で泣くこともほとんどない。人のお葬式でも泣かないし、卒業式でも泣かなかった。それは、野球においても例外ではない。

 しかし、泣きそうになることは何度でもある。
 野球においては、応援しているチームが夏の大会で負けたときや、テレビ番組で地方大会で敗れ去った選手たちに演出を加えてスポットを当てた特集あたりには凄く弱い。(BGMが、長渕剛の「HOLD YOUR LAST CHANCE」だったら、尚、胸に迫るものがある。あれは、本当にハマリ曲だ)

 その「泣きそうになる」こともプロになるとぐっと回数が減る。元々私の応援している球団の強さに問題があるのかもしれないが、この際それは置いておく。

 私がプロ野球を見て始めて「泣きそうになった」のは、もう10年ほど前の話だ。甲子園球場でのナイターで、私はライトスタンドにいた。実はそれ以外もことはあまりよく覚えていない。対戦相手はおそらくヤクルトだったと思うが、それもはっきり覚えていない。多分、試合は負けていた。

 回も押し迫ったころ、阪神のピッチャーが代わった。御子柴という体の細いピッチャーだった。接戦でも、大敗でもない。なんてことない試合の敗戦処理。

 御子柴は、淡々と投げていた。ダレた試合に球場を後にするファンも出てきた。私はそんな光景と彼の背中にあまりのギャップにたまらない思いでいた。

「御子柴ぁー!!」

 思わず叫ぶ自分がいた。
 今でも、一人で叫ぶことに抵抗を感じる。
 にもかかわらず、当時観戦初心者の私はどうしてそんな行動に出たのだろう。同伴していた父は、「何や、こいつは」みたいな顔で見ていた。

 私はこのとき初めて、中継ぎ投手という存在を意識した。
 今でころ、その重要性が問われ、重宝もされているが、当時はそんな空気は見当たらなかった。敗戦濃厚の中投げる。経験を積むような新人でもない。かといって、大事なことろでも投げさせてもらえない。自分勝手に「報われなさ」を感じた。もっと、声援があってもいいのに。あんなに一生懸命投げてるのに。華やかやエースも主砲も、人気選手も、そうでない選手も、みんな同じ「一生懸命」なのに。

 今でも、あの時の心境はうまく説明出来ない。でも、あのとき、泣きそうになったのは事実だ。


 今年は、和田選手が引退挨拶で見せた涙で、「泣きそう」になった。それは、前述した御子柴投手を見たときとは、また別の感情のもとにあった。とにかく感動した。私が選ぶ2001年に見た最高の涙だった。

 涙と言えば、今日、日本有線大賞で、浜崎あゆみが見せた涙も良かった。ずっとずっとこらえていて、途中で、すぅーっと一筋だけ頬を伝った涙のきれいなこと。私は彼女の書く詩が繊細で非常に好きなのだが、なるほどあれだけの詩をかけるアーチスト、もとい女性だなあと思った。この涙は、和田選手の次にランクインしておこう。