89歳の母が「部屋のエアコンがちっとも冷えない」と言い出した。そこでオレが想像したのは老人らしいミス、つまり「間違えて暖房にしている」ということである。認知症の人はそういう失敗をやらかす。まだ母はしっかりしているが、いつまでも大丈夫というわけでもないので、とりあえず部屋に様子を見に行った。
エアコンは設定温度が22度で風量はほぼ最大になっていた。ちゃんと「冷房」である。そして確かに部屋は冷えていない。しかしオレはあまり風が出ていないことに気がついた。そこでカバーを上に跳ね上げてみたところ、フィルターにびっしりと埃が付着していたのである。ここまで埃まみれだと空気が通らないレベルである。オレはすぐにフィルターを取り外して、埃をブラシで払ってきれいにした。
きれいになったフィルターを再度取り付けてしばらくすると母が「エアコン効き過ぎて寒い」と言い出した。オレは風量をかなり弱くして設定温度を27度にしていたのである。それでも「寒い」くらいに冷えるらしい。母の過ごす6畳の洋室はそれで十分である。入り口のドアを開けておかないと寒すぎるくらいである。
今回は簡単に問題は解決したわけだが、おそらくこのようなことは日本中の家庭で起きているわけで、そこでちゃんと対処できればいいのだが、悪質業者に騙されて買い換えたり、電機屋にぼったくりの請求をされたりするという悲劇が起きていそうな気がするのである。絶対にそうなのである。
89歳の母はTVのリモコンを操作して、接続されたHDDの録画機能をバッチリと活かし、観たい番組を録画再生して楽しんでいる。HDDをわりと小さな容量にしてるので、見終わった番組はどんどん消さないといけない。そうした操作を考えてやれることが「ボケ防止」に大切だとオレは思っている。
その母は来週、神戸に住む小学校の同級生のところにお泊まり旅行することになっている。仲良し3人で集まって、80年前の思い出話をする予定である。もちろん行きも帰りもオレがクルマで送迎するのであるが、母は肺がんステージ4なので来年まで生きていられるかわからない。だから元気なうちに親孝行しなければと思うのである。
休みで家に居るオレは、昼食にいつも母と一緒にそうめんを食べている。母はふだんは台所に立たないが、オレが食べる分を湯がくのにいそいそとお鍋をだして、ゆであがったそうめんを流水で揉んで、大きな器に入れて氷水で冷やす。それを母と2人で食べるのである。薬味のネギは母が収穫して、刻んで出してくれる。
考えれば母とのこうした団らんの時間ももうあとわずかなのだ。12年前に父を亡くし他時に感じた喪失感よりももっと大きな喪失感が自分を襲うのだろうかと思うとオレはその日を想像したくない。しかし、人は無限の寿命を持っているわけではないから、その日はいつか確実に訪れる。
食が細くなった母に何かオイシイものを食べてもらおうと、昭和町にある行きつけのたこ焼き屋さんに連れて行った。そこでたこ焼きや焼きそばを母はたっぷり食べたのだが、亡くなった父もお好み焼きや焼きそばが好きだったことを思い出した。
旅行に行くといつも「母へのお土産のお菓子」を選ぶ。母がどういうお菓子が好きなのかはちゃんとわかってるから、その好みの中から考えるのである。戦中、戦後を生きて長く苦労した母が人生の最期に幸せな時間を過ごせればいいとオレはいつも願っているのである。
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