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2004年02月28日(土)
再始動します。 光州全州釜山への旅(1)

しばらく休んでいました
その間にもどんどん文章は出来上がっています。
在庫を整理する意味でも再開したいと思います。
これは去年の年末の旅です。
実は(1)(2)はあるのですが、(3)はまだできていません。
小説つきなので、遅いのです。
気ままに待っていてください。

11月29日(土)
11月29日深夜倉敷から博多行きへの深夜バスに乗り込んだ。高速バスは初めての経験。明朝7:05に駅に着き、8:00までに港に行かなければならない。「なお、交通事情で遅れた場合はご了承ください」というアナウンス。そうか、そういう場合は考えていなかった。もう遅い。途中大きな事故が起こらないことを祈るばかりだ。

今度で韓国に行くのは6度目だ。一回目はソウル滞在。市内を巡り歩き、安重根記念館やらともかく市内を歩いた。二回目再びソウルへ。板門店を一日かけていく。三回目、高速バスに乗り、百済の都扶余に行ってみる。三回目にして初めて考古学が旅の大きなテーマになる。四回目、職場の仲間を案内するという名目で「観光地でない韓国」を歩く。一日かけて鉄道に乗り日本との抗日運動を展示してある国立独立記念館に行く。五回目、初めての船旅。博多からセマウル号で釜山へ。市立博物館やチャガルチ市場、古代任那の都加那の国(現在の金海)に市外バスに乗っていってみる。慶州にも行った。

今回の旅の目的は三つある。ひとつはまだ行っていない地域、光州、全州に行くこと。光州では1980年の光州事件の跡、そして韓国の民主化運動の影を少しでも感じること。光州市郊外の支石墓(世界遺産登録)、あるいは光州全州の博物館をめぐって全羅北道の馬韓、弁韓、そして百済の古代の姿を見て、日本のそれと比較したい。ひとつは今回宿を決めずに出発する。初めて韓式旅館に泊まることに挑戦したい。こういう旅が出来れば、一泊3000円クラスの宿に泊まる旅が出来るので格安で旅が出来るし、オンドル部屋(布団敷きで床暖房がついている部屋)に泊まれば韓国の生活にも触れることになるだろう。ついでに節約旅行にも挑戦したい。29日深夜から5日早朝にかけて七日間(実質五日間)を七万ですごしてみようと思う。今回船(高速艇ビートル号)、深夜バスともに往復割引のチケットを入手するのに成功した。よって船代20000円、バス代12400円。韓国内は37000円で過ごせばいいわけだ。出来ると思う。

そしてもうひとつの目的。今回一人の男の子を旅の道連れにすることにした。その男の子の名前はシュウという。私が長いこと暖めている弥生時代を舞台にした小説の主人公(の予定)である。全体の構想はまだあって無きが如しで、まるで今回の旅のようだ。そして小説として成り立つのかさえ保証の限りではない。昔ジブリの「思い出ぽろぽろ」というアニメがあったのをご存知だろうか。都会育ちの女性が自分の生き方を探して農家に労働体験をしに行く。その彼女が旅の道連れのようにして持っていったのが、小学校時代の自分の「思い出」だった。作品はリアルな絵柄の現実の彼女とマンガチックな思い出の彼女が平行して進む。今回のレポートもそのようになるかもしれない。よってずいぶん長いものになるだろう。話もずいぶんあちこちするかもしれない。興味ないところは飛ばして読んでもらいたい。(私としてはすべて韓国を理解するために必要なことだと思っているし、小説の材料だとも思っている)

(シュウの物語承前)
シュウは今度倭国の一地域(現在の倉敷市)からクニの実力者である御巫様に見込まれて加那の国の使者に発つことになった。贈り名は「キビ彦」という。製鉄技術の導入、あるいは製鉄技術を持った人間を連れてくるというのが彼に与えられた密命である。時代は一世紀なのか、二世紀なのか、はたまた三世紀なのかはまだ明らかになっていない。(というかまだ決めていない^^;)話はシュウが玄界灘を渡るところから始るだろう。

11月30日(日)
朝が来た。バスは予定とおり7時についた。7時30分に中央埠頭について受付を済ませて船の乗り場に行くとビートル号はなんて小さい。一抹の不安がよぎる。不安は的中した。8:45博多港出発。15分もしないうちに船は大揺れに揺れた。いわゆる飛行機のエアポケットが常時3時間続くようなものだ。波は黒く生き物のようにうねる。これが玄界灘か。古代の船乗りたちはこの海を渡っていったというのだろうか。船の中の1/3の乗客たちは次々と備え付けの紙袋に吐いていた。私もすっかり船酔いして二回吐いた。船は奇跡のように無事釜山に着いた。なんと晴れである。常連客らしき女性が「今回の波は3mくらいだったかしら。前は5mあったし……。」えー!今回は台風が近づいているための「特別」ではないの?それじゃ、帰りもこのくらい揺れるかもしれないということ?かんべんしてよー。もう二度と高速艇には乗らないぞ。一日目にしてとんでもない旅発ちになった。

まず、35000円を両替した。正確な数字は忘れたが約370000Wになった。これ以内で韓国内を過ごせば目標達成である。

地下鉄に乗ると酔いがまだ収まっていないためか一種独特な匂いに気分が悪くなる。これがキムチで生活している人たちの匂いなのだろうか。(帰りに同じ地下鉄に乗ると全然匂わなかった。慣れとは恐ろしい。)地下鉄一号線最終駅まで行くと総合バスターミナルに接している。まずはうどんで腹ごしらえをして光州行きの切符を買う。今日は移動だけで一日が終わる予定である。ここの受付は簡単な日本語なら出来るので迷うことはない。「キョンジュ、イーチョン」で切符を買い、会話集を指差しながら、「バスはどこから発着しますか」と聞く。「四番乗り場はあっちです」と日本語で返ってきた。

ところで私は韓国語はほとんど出来ない。今までの旅は移動と買い物だけで用が済んだので「これ下さい」「ここまでお願いします」「ありがとう」「こんにちは」「いくらですか」だけで何とか用が済んでいた。後はハングル文字を見せればいいわけだ。しかし今回はもう少し複雑な会話が必要だろうということはわかっていた。今回の旅で大活躍したのは情報センター出版局の「旅の指差し会話帳韓国」と「食べる指差し会話帳韓国」、そしてJTBの「地球の歩き方韓国」である。基本会話はこれを見ながらしゃべる。あるいは指差す。それで多くの場面を切り抜けることが出来るだろう。とくに二冊目の「食べる」の付録でハングルから日本語を見つける簡単な単語帳があって、時間はかかるが複雑な会話のときずいぶん助けてもらう予定である。

さて、後はバスの前面に張ってある行き先確かめて乗るだけだ。高速バスは光州までノンストップだ。映画館もそうだが、韓国ではちょっとした切符はたいてい座席指定である。適当に座っていると怒られてしまった。途中サービスエリアで休憩がある。降りるときは出発の時間とバスの位置を確かめることが必要だ。運転手は一応出発前に数を数えてはいるが、置いてけぼりを食ったら大変なことになる。バスはまったく快適だった。テレビがついていて、無線で受信して昼のドラマをしている。7年前に初めて韓国に来たとき、CMが20年前の日本のCMみたいで飽きれたものであるが、今回久しぶりに見て、技術的には日本のものとは遜色ないまでに進歩しているのに気がついた。ただし、いわゆるエスプリはまだ足りない。途中の景色に日本とは違うところ(家の形、高層アパートの群れ、小さい古墳みたいな祖先墓etc)と、日本と同じところ(低い山々が連なり、川のそばに町があり、広い田んぼがあるetc)を見ながらうとうとしていると、4時間で光州についた。

とりあえずバスセンター近くの旅館を探した。怪しいモーテルしかない。(韓国のモーテルはラブホテルを意味しない)探すのに疲れていた私は適当な一軒に決めた。「部屋ありますか」「あるよ」「いくらです」「モゴョモゴョ」まあ2,000〜3,000円だと思い、3000Wを渡すと怒られた。まだウオン計算に慣れていない私でした。部屋は25000W。普通のシングルと変わらない。(ダブルベッドに枕が二つあるのを除いて)その後食事に出かける。鍵は自分で持ち歩くシステムらしい。事前に光州市のHPからひろって印刷してあった「味の街」というページ(ハングル版)を見せて、タクシーの運ちゃんに「ここへ行きたい」と頼んだら、あっちこっちに行ったり、携帯で会社に聞いたり、はてはHPにある電話番号に電話してくれて、店の人が道路まで迎えに来てくれた。そこまでしてくれたのかとずいぶん恐縮してしまった。ところで韓国のタクシーの運ちゃんは本当に土地の場所を知らない。相当有名な観光地を言ってもなかなかわからなかったりする。日本語はおろか、英語もわからない、と見ておいたほうが無難である。ハングル表記の地図とその場所のハングル文字は必携である。(よってまず観光案内所でそれを手に入れる必要がある。ソウルなら「地球の歩き方」で十分。)さて、苦労して入った地元の人しか居ない様な食事屋。名物料理のサンバプを頼んで、ついでにマッコルリ(濁り酒)を頼んだら、何を間違えたか、いつまでたってもサンバプはこなかった。けれども実はそれで十分だった。最初次々と副菜がやってくるのでてっきりサンバプだと思って、「どうやって食べるのか」と聞いたら、店のおばさんは困ったような顔をして土瓶に合あった白い飲み物をお椀に注いで之を飲めという。白い飲み物はなんかの汁だと思っていた私は之が頼んだトンドン酒(マッコルリ)だとそのとき初めて知ったのでありました。そうなるとこの副菜はすべてトンドン酒についていたものだとわかる。なんと副菜十皿。いやーおいしかった。酒は全部飲みきれず。副菜も食べ切れなかった。それで恐る恐る勘定を聞くとなんと5000W(500円)。光州の芸術通りの店チャンモイ、お薦めです(^^;)
 韓国一日目
  地下鉄    800W
タクシー(2回)8500W
時刻表    5400W
高速バス  18700W
うどん    4000W
トンドン酒  5000W
宿代    25000W 計67400W
(以下シュウの物語)
イキの国の山々が海面に沈んでいく。とうとう一人になったとシュウは感じた。自分とつながりを持った人間がこれで一人も居なくなった。あとは自分だけで何もかも決めなければならない。
「おまえ何歳だ」それまで黙ってともに櫂を漕いでいた船頭のムナジが言った。
「14歳だ」
「そうか……。おまえのクニはどうやら人を試し鏃のように使うクニのようだな」
「ちがう。私には大きくて遠い使命がある。ためし鏃のために絹を五反も使うだろうか。」
ガハハハ、とムナジの背中が揺れた。盛り上がった筋肉がしゃべっているみたいだ。大人の身体、しかも最高級の身体だった。
「おまえにとっては絹五反は一生かかっても払えんものだろうが、クニにとっては単なる運試しの代償だ。おまえの使命とは何だ?」
「……それはいえない」
ふん、と肩を揺らしてムナジは空を仰いだ。
「どうやら天つ神はここで我らを試されるみたいだ。ツシマの国まで持たなかったな」
そういわれて行き先の空を眺めると、それまで島影のようだった黒い雲が見る見る半島ぐらいに大きくなっている。日はかんかんと照っているのだが、波が蛇のようにうねり出した。
「あと一刻の間、一生懸命漕げ!その後は櫂を仕舞って俺の指示に従え!」
ムナジがひときわ大きい声で言う。不思議なのだか、別に怖がってはいないようだ。ほかの五人の漕ぎ手はくるべきものがついに来たことを感じていた。シュウはアカネの最後の言葉をふと思った。「シュウは戻ってこない」
ただみんなの想像はあくまでも甘いものであったことがすぐにわかる。実際はるかに過酷だった。

海はいまや黒いまがつ神だった。目の前の黒い巨大な生き物が、すべてを飲み込むように近づく。あまりにも大きい。10歳のときの死んだ熊、12歳のときに倒した猪、そんなものはこの魔物の前では芥子粒だ。魔物を背中を我々は通り過ぎる。今回は許された。我々はただひたすら船にしがみつく。ひとつ通り過ぎるのに、天に上りそして死の国に落ちる。船頭は「口を開くぞ」と怒鳴る。魔物は白い口をあけて我らを飲み込む。船は驚くほど沈まない。いまや壺の中の食べ物は総て捨てられ、船の中に溜まった海水を掻き出す道具と化していた。もうだめだ、もう間に合わない。そういう瞬間がもう何度も、何度も、何度も、何度も続いていた。隣のナの国から来たという男はいつの間にか見えなくなった。「永遠(とわ)」というときが続いていた。
「これが我らが海ぞ。面白いだろう」
ムナジが筋肉を笑わせていた。
シュウは気が遠くなりかけていた。真横を黒緑の鱗を滑つかせて竜が通り過ぎた、と思った。