1965年のシーズン終盤。阪急(現・オリックス)のスペンサーは、バットを上下逆さに持ってバッターボックスに立っていた。パ・リーグ各球団が行う敬遠作戦に腹を立て、抗議の意を示した。この年のパ・リーグはスペンサーと野村克也(南海)が熾烈な本塁打争いを展開。「どうせタイトルを獲られるなら、日本人の野村に」という思いが働き、このような敬遠策が行なわれたと言われている。 象徴的なのが8月15日、東京オリオンズ(現・千葉ロッテ)とのダブルヘッダー。東京は初戦、300勝を挙げた大投手小山正明が先発。大投手小山は、4打席全て四球(実質敬遠)を与えた。第2試合でも東京投手陣は、スペンサーに対し4打席連続四球。都合、8打席連続で四球を与えた。頭に来たスペンサーは、とんでもないボール球をわざと空振りし、無言の抗議にでた。けれどもそれも叶わず。本塁打王は野村のもとへ渡った。
20年後の85年。ランディ・バース(阪神)は、かつてないハイペースで本塁打を量産していた。64年に王貞治(巨人)が記録したシーズン最多55本塁打を更新する勢いで打ちまくり、シーズン残り2試合を迎えたところで、本塁打は54本を数えていた。記録更新への期待が懸かる中、バースは最後のダブルヘッダー2試合に臨んだ。相手は、王監督率いる巨人。「記録を保持する監督の前で、新記録樹立なるか」。多くの野球ファンはそんな楽しみを持っていた。けれども、そう願うのはファンだけだった。 第1戦、巨人は江川卓を先発に立てた。江川は真っ向勝負を挑んだ。3打席を2打数1安打1四球。勝負の末の1四球だった。愚行が始まったのは、ここからだ。第1戦の最終打席、巨人ベンチは敬遠気味の四球でバースを歩かせた。次ぐシーズン最終戦、第1・第2打席でホームベースを明らかに外れるボールで四球。第3打席も同じように勝負を避け、カウント0−3。4球目を投手が、コントロールミス。バットの届く範囲に来たバースは、これを強振。しかし、スタンドにははるか届かず。センター前ヒットに終わった。第4・第5打席も巨人投手陣はバースとの対決を避けた。結局、ダブルヘッダー9打席で、まともに勝負されたのは最初の3打席だけ。記録更新は叶わず。当時、信憑性は確かではないが、「バースにストライクを投げた投手には罰金を課す」と巨人のコーチが言ったと伝えられている。 日本プロ野球界が生んだ至宝・王貞治の記録を、「助っ人外国人」が塗り替えることは「NO」だった。
世紀が移り変わった2001年。相も変わらぬ愚行は続いていた。スペンサーの一件から約40年。悪習は引き継がれていた。 9月30日、福岡ドームでのダイエー対近鉄。ダイエー投手陣はタフィー・ローズに対し、敬遠攻めを行った。ご存知の通り、ローズは現在シーズン55号の本塁打を打っており、王貞治が持つ日本記録に並んでいる。あと1本で新記録。ダイエー監督・王貞治の前での記録達成に意気込んだ。少しでも打席数を増やそうと梨田監督はローズを1番に持って来た。1回表、ダイエー先発・田之上はローズに対し、初球から明らかなボール球を続けた。初回の先頭打者を敬遠で出すなど、普通は考えられない。でも、常識が通用しないのがいまの野球界。敬遠気味の四球で歩かせた。2打席目、シビレを切らし、0−3からボール球を空振り。かつてのスペンサーと同じ形で抗議の意を示した。第3・第4打席、イライラが頂点に達したローズは、明らかなボール球を強引に打ちにいくが凡打。ヘルメットを脱ぎ捨てて、悔しさと悲しさをあらわにした。 1日付の新聞各紙を総合すると、王監督は「攻め方はバッテリーに任せた」。バッテリーコーチである若菜嘉晴は「彼はいずれアメリカへ帰る。おれたちが王さんに配慮してやらないと」と試合後に語った。投手の田之上は試合前に勝負を避けることを指示されたが、その場に王監督はいなかったという。「むちゃくちゃ嫌な気持ち」と田之上は言った。 近鉄の中村ノリは怒りをあらわにした。「お客さんに失礼や。こういうことをするから、日本の野球はダメなんだ!!」 当のローズ本人は「(王さんの)記録を残したいのならそれで良い・・・」
海の向こう大リーグでは、バリー・ボンズ(ジャイアンツ)が98年マグワイア (カージナルス)が記録したシーズン70本を更新する勢いで本塁打を量産している。スポーツニュースには、真っ向勝負する投手の姿が移し出されている(まぁ、あまりにも正直に攻めすぎていて、もっと工夫しろよとも思うが)。 中村ノリの言葉が胸に響く。今シーズン当初から、「プロ野球が危ない」とさんざんマスコミに報じられながら、野球界に何の変化も起きなかった。ノリも近い将来、大リーグに挑戦するのだろう。日本が生んだ王貞治の「偉大な」記録を守るために勝負を避ける日本プロ野球に、魅力を感じるものはいるのだろうか・・・。 ローズが敬遠策に怒りを見せた同じ日。マリナーズのイチローは、伝説の名選手ジョー・ジャクソンが持つシーズン233本の新人最多安打を塗り替えた。対戦したアスレチックスの投手人は、東洋からきた「外国人」に真っ向勝負を挑んだ。イチローの打球がセンター前に落ちたとき、セーフコ・フィールドを埋めた4万5000人の観客は、スタンディング・オベーションで記録更新を称えた。次打者が打席に入っても、祝福の拍手は鳴り止まなかった。
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