みのるの「野球日記」
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2001年10月02日(火) 新リーディングヒッター福浦和也

 現在、10月2日の午後6時前。あと少しで、パ・リーグのリーディングヒッターの座が決まる。
 今年のパ・リーグは「ポスト・イチロー」に注目が集まった。言わずと知れた「安打製造機」。94年から、日本球界を去る2000年まで、6年連続で首位打者を獲得。「首位打者=イチロー」という間違いのない方程式が存在していた。それを崩そうと挑む選手も確かにいた。イチローに最も迫ったのが、99年ライオンズの松井稼頭央だ。3割4分3厘のイチローに対し、松井は3割3分。その差、1分3厘。最も迫りながら、背中すら見えていなかった。イチローは別次元だった。
 
 そして、今年。10月1日終了時点で、首位打者の座にいるのはマリーンズ不動の3番打者福浦和也だ。髪の毛は若干薄いが、プロ入り8年目の26歳。93年オフにドラフト7位で習志野高校から入団した。同期入団にライオンズ松井や、同じマリーンズの小野晋吾がいる。ちなみにこの年、ドラフト7巡目まで指名を行ったのはマリーンズのみ。すなわち、一番最後に指名されたのがこの福浦だった。
 習志野高校では投手として活躍。打者としても1年のときから、強豪・習志野の4番に座る実力を持っていた。プロ入りも、最初は投手として入団した。しかし、打撃センスを見出され、すぐに打者に転向。「打者・福浦和也」として、プロの世界に挑むことになった。
 福浦がブレイクしたのは97年。いつ見ても違和感があったピンク主体のユニホーム時代だ。当時監督の近藤昭仁が、シーズン中盤から、プロ4年目の福浦を3番に抜擢。福浦はその抜擢に見事に応えた。終盤戦まで3割をキープし、非凡な打撃センスを数字でも証明した。次ぐ98年には完全にレギュラーに定着。129試合に出場し、2割8分4厘の成績を残した。順調に階段を上がっていた福浦だが、99年には出場試合数が114に減った。この年、新外国人のボーリックが入団し活躍、先発出場の座を奪われてしまった。福浦の守備位置は、打撃力が何よりも重要視されるファーストだった。
 福浦にとって、勝負の年は2000年。ジャイアンツから石井浩郎が入団してきて、ポジション争いが激化したのだ。福浦は勝負を懸け、打撃改造を試みた。秋の鹿児島キャンプでは長打力アップを目指し、連日のようにウエートトレーニングに励み、さらに変化球にも対応出来るようにと、バットを「立てる」構えから、バットを「寝かす」新打法に変えた。その成果は、早速オープン戦から見えた。9打数連続安打を記録するなど、5割近い打率を残した。「あれだけ打ったら、スタメンから外すわけにはいかない」。山本監督にそう言わせるほどの大活躍だった。外野と一塁で131試合に出場し、2割9分6厘の成績を残した。活躍を認められオールスターにも初出場。一番最後にドラフトで指名された福浦だが、着実に実力を付けてきていた。
 だが、課題もあった。前半戦はイチローに次ぎ、打率2位の成績を収めながら、後半戦に失速。3割にも届かなかった。数字で見ると、後半戦の落ち込みようは顕著だ。8月、2割3分9厘。9月にいたっては、0割8分8厘と大不振に陥った。「シーズン通して、安定した成績を残すこと」が来季の課題となった。

 今シーズン、福浦は序盤から打ちまくった。7月終了時点で、3割5分。開幕直後こそ、不振で6番に入ることもあったが、ヒットを量産してからは3番に定着。マリーンズの主軸に成長した。問題は、昨季打率を落とした8月だった。福浦は、昨季と同じように不振に陥った。月間打率、2割5分6厘。序盤の好調がうそのように、凡打を繰り返した・・・。「また、去年と同じなのか」。ファンは嘆いた。
 9月。福浦は蘇った。11試合連続安打を記録。4割以上の打率を残し、1ヶ月で2分も打率を上げた。9月下旬には、首位打者の座をファイターズ・小笠原道大から奪い、初のリーディングヒッターに手の届く所まできている。
 シーズン最終戦、マリーンズはファイターズと対戦する。福浦と小笠原の直接対決となる。昨日まで、3割4分5厘と3割3分8厘。ほぼ、首位打者の座は安泰と言っても良いだろう。
 でも、福浦には小笠原との対決よりも、もっと大きな存在と対決してほしい。それは、99年にイチローが首位打者を獲ったときの3割4分3厘を上回ることだ。鹿児島キャンプで、「バットを寝かす」打法に変えてから、イチローそっくりの打撃フォームになってきた。背筋をピンと伸ばし、アゴを引く。見間違えそうになるほどだ。今日の試合。無安打に終わらなければ、99年イチローの打率を抜くことは確実だ。惜しむなくは、打撃開花した福浦が、イチローと首位打者争いをする姿を見てみたかった・・・。
 「ポスト・イチロー」から「リーディングヒッター・福浦和也」へ。見えない相手イチローを超えて欲しい。










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