以前の日記で首都大学野球を相模原球場で観戦したことを書いたが、そのとき球場で嬉しい出会いがあった。 「こんにちわ」と挨拶されたとき、誰だか分からなかった。何となく見たことはあるのだが、はっきりとは思い出せない。丸みを帯びていた顔が精悍な顔つきに、メガネを掛けていたのがコンタクトに変わっていた。 挨拶をしてくれたのは昨年、東海大相模のマネージャーをしていた井上くんだった。甲子園や地方大会ではユニホームを着る部員たちとは違い、制服を着てスコアブックを書いていた。センバツで優勝したときはユニホーム組と一緒に喜び、夏の地方大会で負けたときは同じように涙を流した。 井上くんと初めて話したのは、東海大相模が地方大会で負けた数日後のことだった。井上くんは高校2年のとき、門馬監督から「マネージャーをやってくれないか」と要請を受けた。特に選手生命が危ぶまれるケガがあったわけでもない、選手としての実力が絶望的に劣っていたわけでもない。でも、監督は井上くんを指名した。マネージャーとしての素質を買っていた。 「別にマネージャーになったことは後悔してません。すごく良い勉強にも、思い出にもなりましたので。でも、5日間ぐらい考えました。登校拒否にもなりましたし」とその頃を思い出し、笑いながら話してくれた。相模の他の選手に聞くと、「井上の実力ならベンチ入りは出来た」と言う。「井上は選手の誰よりも筋肉隆々。ベンチプレスは、マネージャーの井上が一番持ち上げますから」という可笑しなエピソードまであった。 マネージャーとしての思い出を尋ねると「センバツで優勝したとき、マネージャーのぼくにまで優勝メダルが用意してあったんですよ。貰えないのかなと思ってたら、ぼくの分まで用意されてて、ほんとに嬉しかったです」と満面の笑顔で答えてくれた。
あれから1年が過ぎ、相模原球場で会った井上くんの顔はびっくりするほど変わっていた。「イイ男」になっていた。 大学に入学してから、準硬式野球部に入部。日々、練習に励む中で、自然と精悍な顔つきになったからだ。マネージャーをしているときの顔とは違い、完全に選手の顔。1年前とは全く違った井上くんがいた。 準硬式ではピッチャーをやっていると言う。それならと言うことで、試合の後、シャドーピッチングを見せてもらった。いやいや、驚いた。「ほんとに元マネージャー?」と思うぐらい、フォームに力強さがあった。 顔つきも変われば、当然身体も変わる。見るからにマネージャー時代とは違った。聞けば、筑川が高校時代にやったトレーニングを、大学になってやり始めたと言う。 とにかく、選手・井上はすごく生き生きとしていた。そんな姿を見て、意地悪な質問をぶつけてみた。「やっぱり正直言うと、高校のときマネージャーになったの後悔してるんじゃない?」すると、「いや、そんなことはないですよ。ほんとに良い思い出になってます」と、引退直後と同じ返答をしてくれた。「準硬式からプロに入った選手もいるし、頑張ってよ」と言うと、まんざらでもない様子で笑っていた。
ちなみに元高校球児の私は、2週間前に2年ぶりぐらいのキャッチボールをした。2年もしなかったのは、高校時代に使っていたグローブがどこかに行ってしまい、やりたくてもやれなかったからだ。それが、ひょんなことから見つかり、いても立ってもいられなくなってしまった。 キャッチボールは私を野球少年に戻してくれた。井上くんに負けないぐらいの「イイ顔」をしていたかもしれない。
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