みのるの「野球日記」
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2001年11月02日(金) 東大の歴史を変える男

 「松家(まつか)はほんとにスゴイですよ。キャッチボールをしていると、他の人とは全然違う感覚に陥るんです。ボールの出所が全く見えなくて、受けてるこっちが怖いぐらいです。出所が見えないうえに、最後にボールがピュッと伸びてきますから」
 東大野球部の1年生が今夏、松家のすごさをそう話していた。それを聞いた私は、「とにかくすごいヤツが東大にいる」という情報が頭に残った。

 松家卓弘は、高松高校時代、夏の地方大会準優勝に輝いた右腕投手である。2年秋には、センバツを懸けた四国大会でベスト4入りするなど実績を残している。松家は、ドラフト候補にも名を連ねた。しかし、子供の頃から六大学でプレーすることを目標としてきた松家は、プロの誘いを断り、進学準備に専念した。
 半年後の冬。松家は東大文科二類に現役で合格。地元新聞にも「松家、東大合格」と記事が掲載されるほど注目を浴びた。

 春季リーグ戦、松家の登板はなかった。そして、秋季リーグでも神宮のマウンドに姿はなし。受験勉強でなまった体を本調子に戻すには、時間が必要だった。


 東大入学から7ヶ月後、松家はついに登板した。11月2日、東京六大学新人戦の3位決定戦で、大学入学後初の公式戦マウンドに上った。情報以上に、すごいヤツだった。
 相手は甲子園出場経験者が数多くいる法政大学。松家は先頭の佐藤に初球を投じると、くるりとスコアボードを振り返った。スピード表示を見るためだ。「あれ?」という表情を見せ、苦笑いを浮かべた。初球ストレートは130キロだった。しかし、それは初球だけ。徐々にスピードが上がっていき、初回は三者凡退と、上々の滑り出しを見せた。

 バックネット裏から見ていると、「キャッチボールが怖い」という東大野球部員の言葉が良く分かる。リリースの瞬間が最後まで見えない。その証拠に、法政打線はファールのヤマ。右バッターは一塁ベンチ側に、左バッターは三塁側に打ち込む。前へ飛ぶ気配がなかった。
 だからといって、球速が出ているわけではない。135キロ程度である。でも、打者は詰まる。手元での伸びが予想以上なのだろう。
 4回頃からは、スピードも上がりだし、MAX139キロを記録した。法政の投手が140キロ台のストレートを投げていたが、素人でも分かるぐらい、球のキレが違った。
 私の付けていたスコアブックを見ると、東大が5回までに打ったファールが11球。対する法政は22球ものファールを打っていた。ちなみに、続いて行なわれた決勝戦では立教が8、明治が9である。法政のそれが異常に多いことが分かる。

 松家は結局、6回を投げ、法政打線を散発の3安打、無失点に抑え込んだ。
 この日の配球は、ほぼストレートが中心。なぜなら、変化球のコントロールが安定していなかったためだ。これで、変化球に磨きをかけられれば、もっと大きな投手になることは間違いない。
 変化球が2球外れてカウント0−2。「次は間違いなくストレート」という場面が何度かあった。でも、法政は待っていたストレートが来ても、ファールになるだけだった。分かっていても、キレの良さについていけなかった。

 決勝戦の最中、私の近くに座っていた他の大学の野球部員が話していた。「松家、すごかったらしいな。法政が打てなかったってさ」
 
 東大野球部の歴史を変える男になる可能性は十二分にある。

 


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