1年前の6月中旬。整体院の診療室で休んでいると、ジャージを着た学生が入ってきた。がっしりとした身体に坊主頭。すぐに、野球部だと分かった。「どこの学校の方ですか?」と尋ねると、甲子園を狙う強豪校の名が返って来た。でも、声にハリがない。ボソボソと、うつむきながら話していた。夏の県大会を1ヶ月後に控えたことだった。
昨年の6月、筑川の取材のためにほぼ毎日、整体院に通っていた。そこには、色々なスポーツ選手がやってくる。野球はもちろん、マラソンやバスケットなど。彼らは「痛み」を抱えてやってくる。大好きなスポーツをやれない辛さが、表情に出ている。表情は沈んでいる。 坊主頭の彼も、暗い表情をしていた。当時2年生でありながら、夏のベンチ入りは確実と見られており、新チームのキャプテン候補にも挙げられていた。しかし、2年生に進級してすぐの柔道の授業で、左鎖骨を骨折してしまった。野球どころではなくなった。 藁にもすがる思いで、整体院を訪れた。学校に行く前に、治療をしてもらい、安静にする日々が続いた。治療を受けるすぐ側では、中学や他の高校の野球部員が筋力トレーニングに励んでいる。でも、やりたくてもやれない。身体が動かなかった・・・。
7月に入ると、徐々に笑顔が見えるようになった。全く上がらなかった左肩が、動くようになり、キャッチングにも支障がなくなるほどに回復していたからだ。「先生、ぼくにもトレーニング教えて下さいよ」と、他の選手が行っていたトレーニングをこなすようにもなった。「これ、きついっすね」と言いながらも、常に笑顔は絶えなかった。身体を動かすことができる喜びを感じていた。
県大会開幕を数週間後に控え、地元新聞にはベンチ入り(予定)20名が掲載された。彼の名はない。まだ、左肩は万全ではなかった。 だが、大会を目前に控えると、嬉しそうな笑顔が溢れていた。「何とか、ベンチ入り出来ることになりました!」控えではあるが、背番号を手に入れた。初めて会ったときに見た「沈んだ表情」は、もうなかった。
夏が終わると、トレーニングに力を注いだ。そのせいか、少し太めだった体型ががっちりとし、顔つきまでもが変わってきた。先輩が抜け、自分たちの代になった責任もある。引き締まった表情をしていた。 「新チームどう? もうキャプテンは決まったんでしょう?」と問いかけると、「いやぁ、ぼくになっちゃいました」と笑いながら話してくれた。左鎖骨を負傷してから4ヶ月あまり、チームの柱になるまで成長していた。
翌年の1月31日。高野連から「選抜出場決定」を知らせる朗報が届いた。身体全体で喜びを表していた。
キャプテンとして臨んだ夏の県大会は、先輩と同じように準優勝に終わった。試合終了後、応援団に挨拶を終えると、我慢していた涙が一気に溢れ出た。
1ヶ月後の秋季大会では、後輩を応援する姿があった。高校進学を考えていたとき、彼には希望していた進路がもうひとつあった。しかし、縁がなかった。だからこそ、引退した彼に聞いてみたかった。「この高校で3年間やって来れて良かった?」 一瞬の間もなく、答えた。「甲子園にも行けましたし、すごい良かったですよ!」。初めてあったときに見た暗い表情は、もうない。左肩も、完全に治った。トレーニングも完璧にこなせるようになった。最後の最後まで迷っていた大学も、「ようやく決まりそうです」と話してくれた。 今度は大学で、もっともっと輝いた表情を見てみたい。
|