前潟都窪の日記

2004年05月15日(土) 【軍政下で呻吟する仏教国の民衆・・ミャンマー� �

 ヤンゴン、パゴー   
                   1998年7月8日〜7月13日

 出発予定時間の12時15分にはANA143便は始動して、順調に飛び立った。眼下に海上空港を見下ろしながらぐんぐん機は高度を上げていった。和歌山市の上空で、和歌山城はどのあたりで、雑賀岬はどのあたりだろうと目で追ってみる。今年の春、梅が咲いている頃、夫婦で紀伊三井寺を始めとして紀州路散策をしたことが思い出される。

 関西空港には13時35分に到着し、飛行機を乗り換えてヤンゴンへ向けて再び機が離陸したのは14時43分であった。        

 飛行中、沖縄群島を眼下に見下ろしながら、地図と見比べ島の名前を当てはめてみる。4月に訪問しているだけにこれも懐かしい。        

 5時間45分の飛行の末、18時10分にはヤンゴン空港へ安着した。時差は2時間30分である。                      

 ベトナムやタイの上空とおぼしきところを飛んでいるとき、田畑が俯瞰できたが、黄茶色一色で洪水でも起きているのではないかと思う程であった。アメリカ上空で見た田畑とは一味違っているのである。アメリカの田畑は規模が大きく、円形の田畑がところによっては多かったし、人家が殆ど見当たらないのに対し、ミャンマー上空の田畑は緑が少なくて一面泥濘が覆っているような感じなのである。しかも一区画の広さが小さく、人家が多数集まっているのが眺められる。    

 現地ガイドのウイン・ナインさんが迎えにきていてバスに乗り込むと、現地通貨とドルとを交換してくれるという。綺麗な札を纏めて袋にいれてある。取り敢えず、20ドルパックを二つ交換した。単位はチャットである。1ドル=260チャットであった。

 ホテルへ入る前にロイヤルガーデンというホテル近くのレストランへ入った。

 海鮮料理の夕食であるが中華風にしつらえられたものである。このレストランからはライトアップされたシュエダゴンパゴダが幻想的に眺められた。民族舞踊が舞台では賑やかに繰り広げられた。ホテルはニッコーロイヤルレイクヤンゴンと謂い、未だ出来て新しい。仲々良いホテルである。    

 8時にホテルを出発してパゴーへ向かった。昔、王朝のあったところである。途中田畑で田植えをしている光景やら、水牛で田を耕している昔ながらの風景を日本のそれと対比させながら眺めていた。日本ではかれこれ40年程前の風景である。

 また、トラックバスと称する乗合バスがあって、鈴なりに人を積んで走っていく。1トン車で荷台を含め40人を乗せるという。ここでも社会主義70年の実験の悪い結果を見た気がする。また日本の中古車が多い。新車は皆無である。トヨタ、ニッサンがもっとも多いと言う説明である。日本の看板がそのまま残っており、そのことが日本車の証明になるというのである。横浜市の市バスを見かけた。青葉区という行き先表示もそのまま付いていた。私は気がつかなかったが、中古車でも古い型が多く、バックミラーの付いている位置が車の先端なのである。中には、大戦後アメリカ軍が持ってきたGM製のバスが今でも使われていたのには驚いた。

注 トラックバスの写真は次のURLから借用しました。
ミャンマーで見た風景と風俗


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