前潟都窪の日記

2004年05月21日(金) 【宗教色が街角に横溢する国・・イラン��】

 早朝まだうす暗い6時にホテルを出発してシラーズへ赴くべく空港へ向かった。

聖シャー・チェラーグ廟

サーディー、ハーフェズともにペルシャの詩人でそれぞれイスラム文化華やかなりし13世紀、14世紀に活躍した抒情詩人である。ペルシャ語を後世に残したことで国民的な偉人として尊崇されている。この両人の霊廟にはアケメネス王朝に始まりササン朝ペルシャに終わるまでの古代ペルシャが繁栄していた時代に対するイラン人の民族的な誇りとノスタルジアがあるように思われる。これらの霊廟に額ずき彼らの残した詩篇を眺めるとき,彼ら詩人が当時抱いた危機感が痛いように伝わってくるのを感じた。即ち、7世紀にアラビア半島の片隅で生まれたイスラム教が破竹の勢いで中東世界を席巻しサラセン大帝国を築くに及びコーランに用いられているアラビア語がペルシャの地にも浸透し、非アラビアの民族が育て培ってきた言語が廃れていくことに危機感をもった詩人達の詩情に思いを致すとき共感の情を禁じえなかった。

 それにつけても、異民族支配を受けた経験のない能天気な日本人達の国防意識の希薄さ加減と美しい日本語を守り育てていこうという気配さえ窺えない若者達の昨今の言語感覚には嘆かわしいものがある。

 ワキールモスク近くのバザールを見学した。アーチ型の天井をもつアーケードの両側に設けられた側壁の中に区割りされて、商人達がそれぞれにありとあらゆる商品を並べているこのバザールは、道幅も広くイスラム世界のカスバやメディナの中によく見られるせせこましくて喧騒に満ちた薄汚いバザールの印象とは全然異なっていて、イランで最も美しいバザールと言われる定評もうべなるかなと思った。

 シラーズの南東110kmの地点にあるフィールーズ・ア・バードの遺跡を訪問する途中で乙女橋、乙女城を見学した。ペルシャ語でドクターとは乙女のことを意味し、犯されることがないという意味合いで用いられる。乙女橋は今から1500年程前に作られた石製の橋脚でモンド川に史跡として残されていた。恐らく堅牢な橋だから流されることはないという願いを込めて乙女橋と称したのではなかろうか。また乙女城はこれも1500年程前に作られた城砦であるが、これも落城することがないようにとの願いを込めて名付けられたのであろう。

 ペルシャの人々には、女性は子供を産み育てる使命を担っているので貞操は大切なものとして皆で保護しなければならないものという思想があったらしく、乙女という言葉は犯されることがないという意味に転化したのであり面白い発想だと思った。男女間の規律に厳しいイスラム・シーア派の戒律もこのような歴史的な積み重ねの中で生まれてきた社会規範なのだなと一人勝手な解釈をして納得していた。


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