| 2004年05月26日(水) |
【緑輝く、紅茶と仏教の国・・スリランカ� � |
コロンボ、シーギリア、アヌラーダプラ、タンブラー、ポロンナルワ、キャンディー、ヌワラエリヤ 1999年2月6日〜2月13日 現地時間午前2時30分コロンボ空港に到着、入国手続き後ホテル行きのバスへ乗り込んだ。暗くて周囲の景色はよく見えないがインド洋に面していることだけは判る。暗がりに牛が二頭と豚一頭が道端をのんびり歩いている。 のでびっくりした。 暫しの仮眠後、最初の見学は国立コロンボ博物館である。この博物館は1877年にイギリスのセイロン総督ウイリアム・グレゴリー卿によって造られたスリランカ最初で最大の博物館で前庭には彼の銅像が傲然とした雰囲気で建っている。輝くばかりの白い建物は当時の様式をよく伝えている。 館内にはアヌラーダプラ期の大理石の仏像(300〜500AD)、ポロンナルワ期のブロンズの仏像、キャンディ王朝時代(1636〜1687)の黄金の玉座等貴重な蒐集品が展示されている。この博物館の目玉とされる展示物は仮面である。土俗の思想として病気は悪霊がとりついたものとしこれを追い払うために仮面がつかわれたらしい。スリランカ各地の民芸品店で売られている木彫りの仮面のルーツはこの展示物なのである。 ガイドのドーラさんは眼鏡をかけたシンハラ人の中年男性だが日本語は現地駐在の日本人に学んだと言い、仏教には造詣が深い才子である。言葉は五か国語を喋るというし、ジャズピアニストをやつていたこともあるらしく、とてもピアノを弾くのがうまい。この国の経済環境では、ガイドくらいしか彼の能力を発揮できる仕事がないということであろうか。これまた彼の能力開花のためには悲しいことである。彼はそんなこともあってか鬱屈した気持ちを日本礼賛でまぎらせようとしており、それは説明の言葉の端々に窺われた。 スリランカの人口は1800万人で仏教徒は70%を占めるという。 スリランカは1948年2月4日に英国領からの独立宣言をした。コロンボ市内中央部に独立記念館があり、この屋根は途中から傾斜が変わる二段式でシンハラ建築の特徴を表している。そして記念館を取り巻いて柱ごとにラ イオンの像が守護神の如く置かれているし、スリランカの国旗にはライオンが描かれている。ところがスリランカ国内には現実にライオンは棲息していないという何故か。それは建国神話が今なお素朴に民衆に信じられているからである。建国神話とは次のようなものである。 ランカー島にはもともと龍族、夜叉族の先住民が住んでいた。この両民族ともまだ人間の範疇に入らない霊的な存在であった。このランカー島へ人間が初めて到来したのは、仏陀入滅年(前483年)にインドより渡来した仏教徒のウィジャヤ王子が最初とされている。龍族はいちはやく仏陀に帰依していたが夜叉族は未だ帰依しておらずその女王クェーニーはウィジャヤ王子の軍勢を打ち破ってしまう。その後ウィジャヤ王子は苦心の末、クェーニーを懐柔して子供を生ませるのであるが、王位につくための正当性を得るために南インドから王妃を迎え、シンハラ国を建国したのである。しかし、クェーニーを裏切る結果となり、ウィジャヤ王子、王妃、クェーニーとの間の三角関係が発生することになる。王妃の系譜がシンハラ族の起源であり、ライオンを旗印とした。クェーニーとの間に生まれた子供の系譜がプリンダー族となり、ウエッダー(ジャングルに生活する非定住的狩猟採集民)の祖先になったというのである。 シンハラ族のシンはライオンからきたという意味であり、ハラは人達という意味なのだそうである。
昼食には名物料理カリーを食べた。野菜、鶏肉、豚肉、魚等がそれぞれに炊きこまれたカリーが別々の皿に入れられて次々に出されるのを、ココヤシの実や米を炊いたものと混ぜ合わせながらスプーンやフォークで食べた。味は意外とあっさりしており、多少水っぽいなという感じのものさえあった。香辛料のよく効いたものが多く暑熱の国の食べ物に相応しいし、これが食欲を昂進する香草の独特の香りのついたものは日本人の口には馴染みにくいがそれ以外は日本人の味覚にもよく合っているなと思いながら賞味した。 昼食後約一九Oキロメートルをドライブしてシーギリヤへ向かった。窓外の景色は緑に満ちていて途絶えることがない。まさに緑輝く国である。道路には至るところで、牛が何頭も我が物顔でのんびり草を食んでおり木々にはリスや猿が戯れていた。まさに人畜共生の国という思いがする。 注 カリーの写真は畠山氏のHPから借用した。
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