前潟都窪の日記

2004年06月04日(金) 【神権独裁政権の街の色は黒と白・・サウジアラビア� �

▼サウジアラビア旅 リヤド、ディライヤー、ワディラム、タブーク、アルウラー、ジェッダ
                   2002年4月27日〜5月3日
 定刻通り始動して15時19分に離陸した飛行機は関西国際空港を飛び立った。
 
 チャーター便なので乗客全員がサウジアラビアへ行く筈だが、同じ旅程の人は10名であることが判っているだけで顔ぶれは未だ判らない。隣の座席に座った根本さんという老人は同じCコースだということである。

 洗面所へ行ってみて驚いた。祈りの間が飛行機の中に設置されているのである。前方のスクリーンには飛行機の絵が映し出され中心から矢印が西の方を向いている。どうやらメッカがどの方向にあたるのかを常時判るようにしてあるらしい。戒律の厳しいサウジアラビアの航空機ならではの設備である。

 スチュワーデスは全て外人労働者である。サウジアラビアの人口2000万人の中、その25%は外人労働者であるというから、傭兵に依存した末期ローマ帝国の現代版のような感じがしないでもない。国の将来を暗示しているようだ。

時差6時間だから一日が30時間で、そのうち実飛行時間が12時間余という長いフライトは,20時45分にリャドのキング・ハーリド空港へ着陸することで終了した。観光客の扱いになれていないのか入国審査ももたもたしてなかなか進まない。

現地ガイドはサレーさんというサウジアラビア人の男性ガイドである。顔貌が相撲取りの曙に似ている人である。特に目のあたりが曙そっくりである。聞くところによれば、サレー氏の実父は農業をベースに多角的な分野で活躍する、サウジアラビアでも屈指の資産家らしい。サレー氏自身も三つも邸宅を所有しているという。アメリカへ留学したこともあるらしく英語に堪能である。航空機会社のエンジニアでもある。本来であれば、ガイドをしなくても済む境遇なのだが、本人が将来旅行関連会社を経営したいとの気持ちがあるので、政府が観光客招致に力をいれだしたのを機にガイドを買ってでたものらしい。またサウジアラビア航空でも、身元のしっかりした人を探したいということで、その条件にあったサレー氏が我々のガイドに配置されたということらしい。今回のガイドに当たっては本人はかなり自腹を切って対応したようである。

ホテルではロビーにベトウィンのテントが張られていて異国情緒を盛り上げてくれる。ここで小説家の阿刀田氏が夫人と一緒に参加されていることを知った。出版社の女性担当者が大きなカメラをぶら下げて付き添っていた。
 テントの中でパキスタン人の給仕から手渡されたウエルカムドリンクが美味しかった。組成を聞いてみるとストロベリー、キウイ、ライムのカクテルであるということであった。

 リアドの外国公館地区、ディライヤー、サッカースタジアム、駱駝市、国立博物館マスマック砦、スークの順番でリャド市内を見学した。

 リヤドは世界の首都の中でも飛躍的に発展を遂げた都市の一つに数えられる。都市周辺にはワジと呼ばれる涸川が沢山あり、地下水資源が豊富で緑に囲まれた都市である。

 急発展の状況を都市面積と人口の推移の数字で追ってみると次のようになる。
           都市面積          人口
 1,918年                 19,000人
 1,939年     8.5km2
 1,950年    85.0km2
 1,960年                160,000人
 1,968年   110.0km2
 1,977年                690,000人
 1,982年              1,500,000人
 1,985年              2,000,000人
 1,996年              3,100,000人
 2,000年 1,600.0km2     4,000,000人

 市内を通り抜けながら観察していてもクレーンが林立し工事がいたるところで行われている光景がこの数字の推移を裏付けている。

 道路の両サイドに建ち並ぶ高層の近代的なオフィスビルやマンション群は壁面や窓格子に施された幾何学的なアラビック模様と相まって都市の持つ機能美を一際引き立てている。

 世界各国の大使館、領事館は市の中心地から8kmの高台地帯の一カ所に纏められており、世界でも類を見ない緑豊かな外国公館地区を形成している。

 日本大使館を外観だけ見学した。建物の中へは入れなかったが庭内から写真を撮影することは許可された。予め撮影の許可はとってあったのだが、守衛にまで通達が流れておらず、カメラの放列を敷くと守衛が飛び出してきて制止されてしまった。暫くガイドのサレー氏と押し問答が繰り広げられたが、電話で確認がとれたらしく、撮影がやっと許されるというハプニングがあった。

 ディライヤーはリヤド郊外に位置するサウド家発祥の地でサウジアラビア建国の父アブドル・アジスが1446年に都を作った場所である。18世紀後期にオスマントルコに侵略されて廃墟と化したが、当時の城壁の一部と日干し煉瓦造りの居城跡(サハド・ビン・サウド王宮)や市街地跡、井戸等が残されていた。政府観光局が観光客誘致のために建物を修復している個所があり、昔ながらの手法で日干し煉瓦を手作業で作っている現場を目撃することもできた。

 建物の梁や天井にはなつめ椰子の木や葉が用いられていて、壁には風通しのための穴が幾つも開けてあるのが印象に残った。

 当時のモスクは修復されて現在この地区の住民のお祈りの場として使用されているが異教徒の我々には内部の見学は許されなかった。


 < 過去  INDEX  未来 >


前潟都窪 [MAIL]

My追加