前潟都窪の日記

2004年06月06日(日) 【神権独裁国家の街の色は黒と白・・サウジアラビア��】

 サウジアラビアのリヤドからヨルダンのアンマンに飛び、アンマンとペトラ遺跡を観光し本日の宿営地タブークへ向かった。アンマンとペトラ遺跡については既にヨルダン編で述べた通りである。

 ペトラ遺跡の観光を終えて再びサウジアラビアへ入国すべくヨルダン領の砂漠地帯をバスは疾駆している。
 
 この日の昼食は砂漠の中のテントの中で品数盛り沢山のベトウィン料理を堪能したが、炊き込みご飯は日本の米と同質の短粒米が使われておりほどよい味付けはとても美味しかった。今回の旅行中の食事の中では一番美味しいと思った。そしてこのような米を常時食べているのならベトウィン料理の愛好者になってもいいとさえ思った。

 このベトウィンテントのある地帯には観光客が体験宿泊できるテントが幾張りも設営されていたので、この料理も観光客用に新たに開発されたメニューではないのかなとふと思ったりもした。 

 食後、たまたまこの地に居合わせた地元のテレビ局の撮影チームに依頼されて観光客としての取材を受けることになった。この地を観光地として紹介するための映画を制作しているところだということで、正装したアタラザワイド族の酋長(地元の有力な族長)も同行していた。

 簡単な取材後、本日の宿泊地タブークへ向けて長時間のバスドライブが始まった。 国境に到着してヨルダン側の出国は短時間で終了したが、サウジアラビアの入国には長い時間がかかってしまった。1時間半位待たされたであろうか。

 この間、我々を出迎えるためにリャドから飛行機で駆けつけ待機していたガイドのサレー氏ともども入出国管理事務所長の部屋へ案内され、所長同席のもとに茶菓の接待を受けた。

 口上は遠国の日本から来られた皆さんに書類審査をする間くつろいで戴きたいということであったが、真相はバスの中に置いてある携行荷物の中身を検査するために我々を格好つけて所長室へ誘導し茶菓を振る舞ったということである。このことはバスに戻ってから荷物の中身が全員等しく荒らされていたことで判明した。多分、アルコール類、麻薬、裸体の女性の写真等を持ち込んでいないかどうかをチェックしたためと思われる。ことほど左様にこの国ではアルコール類、女性の裸体画の流入を恐れ、神経質なまでに警戒しているのである。

 神権絶対主義政権の権力基盤維持のために張りめぐらされた秘密警察組織の恐ろしいところである。

 やっと解放されて再び砂漠の中のドライブが続いたが、道中ベトウィン族の野営のテントをそちこちに見ることができたし、砂漠の緑化事業を推進している個所も数カ所目撃することができた。明らかにオアシスだと一見して判る夏目椰子の畑などもみることができた。緑化した畑で注目すべきものはその大がかりな散水設備である。パイプで作られた巨大な梯子状の散水設備が畑に置いてあり下には移動用の車輪がついているのである。

 タブークの街に近づくにつれ、次第に緑が多くなり、広大な畑には小麦や野菜類が生い茂っていた。タブークは古来農業生産物が多く肥沃な土地としてまた軍事基地のある所として有名である。

 サレー氏の父親の広大な農園もこの地に営まれていた。
 タブーク近郊は目下建設ラッシュであった。
 タブークには泊まっただけで翌日はアルウラーへ向けて長駆480kmの移動日である。

 途中テーマ村でナバティア人が紀元前1世紀頃掘ったと言われる大きな井戸を見学した。巨大な井戸は現在も地域の住民の使用に耐えており、ナバティア人の土木技術の優秀性を証明する遺跡である。

 ここでもいつのまにか現れた警察の車がバスの横に駐車して我々の動向を観察していた。

 単調な砂漠の道路を長時間駆け抜けて居眠りから目覚めてみると、漸くアルウラーの近郊までやってきたようである。がらりと周囲の様子が変わっているのである。窓外には砂岩でできた丘や山が至る所に出没して奇怪な光景を作り出している。見ようによっては広大な岩塊砂漠の中に岩山が散らばっているようにさえ見える。オーストラリア西海岸の景勝地ピナクルの奇岩群と似通った趣である。

 そして岩塊や岩山が次第に大きくなってあたかもカルデラの中を走っているような風景が展開しはじめて、岩の形も奇岩が多くなってきたところがアルウラーである。 アルウラーのホテルで小休止の後、夏目椰子畑の横を通り抜けてアル・クレイバの遺跡、エレファント・ロックを見学した。この地方には紀元前7世紀頃から人が住み着き始めたと考えられており、古代ナバティア人の遺跡が数多く残されているのである。

 アル・クレイバー遺跡には保護柵が設置されていて近くで観察できなかったが、望遠鏡で岩に彫り込まれた彫刻を眺めてみるとライオンの像が彫られているのを微かに認めることができた。

 エレファントロックは永年の風雨に晒されて巨大な岩塊の一部が風化崩落して岩塊に穴があき象の鼻のように見える岩である。時期によってはこの岩の穴の部分にサンセットを眺めることもできるという。もしそれが本当であればさぞかし絶景であろうと思った。

 日暮れも近いのでこの周辺で奇岩群の上に沈むサンセットを写真に収めようと相談していたら、もっとよい場所があるとのガイドの説明でアル・ハッラーの丘(燃える岩)の頂上まで日没を見に行くことになった。

 石ころがごろごろしている勾配のきつい坂道を四輪駆動のトラックでヘヤーピンカーブをいくつも曲がって高度1300mの頂上へ到達した。驚いたことに頂上はフラットで広大な平地になっている。サッカー場が何十面もとれそうな広さである。下方を俯瞰するとアルウラーの旧市街、新市街、夏目椰子畑、宿泊予定のホテルまで見えている。砂岩で出来た奇形の岩山の頂上がこのような平地であることは大きな驚きであった。

 やがて日没となりこのサレー氏は他の現地人運転手達10人程のモスリムとともに日没前の礼拝を始めた。彼等の礼拝の様子をカメラに収めていると丁度日没の時間を迎えた。残念ながら広大な平地なので日没の模様は単純で写真としては面白くないものになってしまった。どこかの砂漠で写したのと変わらない画像となってしまうのである。奇岩の上に沈む太陽を撮影したいのが我々の希望であった。
 全て自慢の景勝を披露したいというガイド氏の善意と芸術的な写真を撮影したいという観光客の我が儘な気持ちがすれ違った意思疎通の齟齬であった。


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