| 2004年06月07日(月) |
【神権独裁国家の街の色は黒と白・・サウジアラビア�ぁ� |
この夜、星を観察にでかけた人達もいたが、私は棄権して疲れを癒すことに努めた 翌日聞いてみるとこの夜は車の明かりが強くて漆黒の夜空に輝く星を観察することはできなかったということである。一見辺鄙な砂漠の中の田舎であっても本来の自然は失われつつある地球環境の実態を痛感することとなった。
ナバティア人の北の都はペトラであり、南の都はマダイン・サーレハであるといわれている。本日は今回の旅行の終局のハイライト、マダイン・サーレハの観光である 砂漠と奇岩の広がる地域を暫く走行してマダインサーレハの遺跡群地区へ到達した 遠くには駱駝伝説の残る駱駝山が遠望できて、岩肌が切り立っている様子が見える 伝説とはサーレハという予言者がこの地へ大きな駱駝を連れてきて水は駱駝に飲ませるから人間は飲んではいけないと申し渡したにもかかわらず、愚かな人間が彼のいうことをきかず水を飲み尽くしてしまったために駱駝が死んでしまったという。そこで怒った神が暴風雨を引き起し水を飲んだ人間を殺してしまった。爾来この地には悪い水しかでなくなったという話である。
ここではカサール・アル・ファリドの墓、アル・ビントの墓、44番目の墓とタイプの異なる三種類の墓を選んで、内部にまで踏み込んで重点的に見学した。いずれも完成半ばで中断した墓であるが、作成段階の相違によって墓の形が異なっているのが比較できて面白かった。
似たような墓が大小取り混ぜて無数にあったのでなにがなんだか判らなくなってしまったが、何れも岩の中に彫り込んだ窟になっており、その中には柩を収める長方形の穴が幾つも或いは縦型に或いは横型に穿たれていた。そして正面には入り口が設けられ、概ね二本の柱が刻みこまれており、屋根の上には天国へ赴くための階段が彫られていた。そして壺や夾竹桃の花模様が柱の上部に刻まれているのである。
 ペトラ遺跡にも墓は沢山あったが、ここはそれ以上に墓が多く、まさに遺跡は墓ばかり、岩のあるところ墓ありという趣であった。当時の井戸も残されていた。
 この時代の宗教はペトラ同様多神教であったと考えられている。
マダイン・サーレハの遺跡を跡にしてヒジアス鉄道の駅舎の跡や、トルコの官僚が居住していたという日干し煉瓦造りの砦、ヒジアス鉄道を走っていたというドイツ製の蒸気機関車等も見学した。これらの文化遺産はサウジアラビアの観光局が観光資源保存の重要性に漸く目覚め保存のための動きを開始したばかりという程度の保存状態であった。  昼食後暫しの休憩の後、アル・ウラーの旧市街を見学した。トルコの侵略により廃墟となった旧市街地の土造りの建物は荒れ果てて見る影もないが、建物の配置の状況から交通の要衝を占めて隊商達の往来で活気に満ちていた盛時を偲ぶことができる。 新市街に足を伸ばし暫し町中を徘徊したが、この街に留学している女子大学の学生達が買い物のために頭から黒いアバヤを纏い、顔まで黒い布で隠して歩いているのを多数目撃した。彼女達も異邦人達が群れて徘徊している様子が物珍しいようで視線を投げかけているようであったが、悲しいかな表情を読み取ることができなかった。
 衣服店を覗いてみると彩り鮮やかな洋服や下着類が品数豊富に陳列されていたが、このような衣服を彼女達は何時どこで着用するのだろうかと疑問だけが残った。家族の前だけで着るのであろうか。それとも夫の前だけで着るのであろうか。謎は深まるばかりである。
気がつくとここでもパトカーがいつのまにかバスの側に駐車していた。
この夜は入り日をエレファントロックを背景に撮影することになり、時間をみはからってバスで赴いたが、砂地の上を車で走行する危険性の見積もりをあやまり、日没時間に遅れそうになってしまった。慌てた運転手がうっかり、処女地の砂地へ乗り入れたものだから車輪が埋もれてしまい動かなくなってしまった。乗客一同車を乗り捨て砂地に足をとられながら落日を追って走り回るというハプニングがあった。待望のエレファントロックを背景に日没の景色を撮影することは時期的に無理だったようで希望を果たすことはできなかったが、なんとか奇岩を背景とした入り日の撮影をすることはできた。バスはトラックを呼んで引っ張って貰うことにした。我々は道路まで出てヒッチハイクの要領宜しく通行中の自動車にピックアップして貰ってホテルまで帰ることにした。
道路にでて手を上げると2台程車が止まり、その中の一台がピストン運転でホテルまで送ってくれるという。聞けばエジプトから出稼ぎにきているエンジニアで奥さんと一緒に外出した帰りに我々の姿を認めて一役買って出てくれたというのである。彼は困っている人がいる時には助けるのがモスリムとしては当然の行為であるとなんの気負いもてらいもなくさらりと言った。
ホテルに帰って夕食後、民族舞踊を見せるというのでテントに行くと10人程の男達が普段の白装束の衣装にスカーフを頭に被った姿で屯ししきりに楽器の音合わせをしている。
何時始まるのかと待っていると刀を振りかざした緩慢な動きの踊りらしきものが何時とはなしにだらだらと始まった。音楽は打楽器である。前口上もなければ演じている音楽や舞踊についての説明もない。メリハリがなくしまりのない 民族舞踊であったしかも、男達だけであるから演技に華がない。観光客に民族舞踊をみせるというならもっときめ細やかな心遣いとメリハリが欲しいところである。ショーとしては落第である。中座して寝ることにした。
|