| 2004年06月18日(金) |
【多彩な少数民族が生活する雲南省・・�◆� |
今回訪問した都市では昆明、麗江が納西族(ナシ族)、大理が白族(ペー 族)、石林に彝族(イ族)の支族のサニ族が住んでいる。中でもイ族は雲南省最大の少数民族で雲南省全土に分布しており、人口およそ七百万人に及ぶ。
昆明は雲南高原の中部に位置し、三方を山に囲まれた風光明媚な雲南省の省都である。市の総面積は15,561km2あり、人口は370万人。標高は1891mであり、気候が穏やかで一年中緑が絶えないので「春城」の別名がある。
歴史も古く旧石器時代の3万年前には既に湖の「滇池」(てんち)周辺には人が住み着いていた。
紀元前3世紀に楚の将軍・荘滇が現在の晋城辺りに築城し滇国を建国した 紀元前109年に前漢の武帝は滇国王に「滇王之印」を与えて正式な国家として認めた。その後、南詔国の時代となり、拓東城が造られた。871年には鄯闡城と改名され、南詔国の東都として栄えた。
1254年にフビライが派遣したモンゴル軍に鄯闡城は占領され、1276年に雲南行省が設置されて鄯闡城は昆明県となった。この時、雲南地区の行政の中心地は大理から昆明に移り現在に至っている。
次に大観公園に行った。 公園へ入って最初に目がつくのが奇怪な形をした岩の塊である。これはこの公園に取り入れられた造園技術の一つで障景堡と呼ばれる手法である。つまり美しい景色をいきなり見せないように障壁を設けておいて、観光客が障壁を越えて進んだ時、美しい光景が突然目に飛び込んできて感激もまた一入ということを狙っているのである。
ここは湖・滇池の北岸と繋がる大観川の中に造られており、楠木で出来た三層の楼閣が最も有名である。大観楼と称するこの建物の一階には滇池の美しさを90字で詠んだ詩(長聨)と同じく90字で南詔国の歴史を叙した詩が左右の門に飾られている。この公園は清代の1696年康熙帝の時、池を作り現在の形になったものである。古来文人が遊ぶ名所であった。
朝6時15分にはホテルを出発して麗江を訪問するため昆明空港へ向かった戸外はまだ真っ暗である。ここ中国では広大な土地であるにもかかわらず総て北京時間が適用されているので、夜が明けるのは8時前である。8時にならないと夜が明けないという生活は異様である。北京とでは2時間程時差を設けてもいいのではなかろうかというのが、通りすがりの一観光客の率直な感想である
40分程のフライトで麗江の空港へ到着した。道中機内から窓の外の風景を眺めやると雲南省は山の中に開けている省だということがよく判る。何処までも続く山並みの合間にすこしだけ開けた盆地があり、小さな集落が形成されている場合が多い。雲南省の省都昆明が標高1,891m、麗江が2,400m、大 40分程のフライトで麗江の空港へ到着した。道中機内から窓の外の風景を眺めやると雲南省は山の中に開けている省だということがよく判る。何処までも続く山並みの合間にすこしだけ開けた盆地があり、小さな集落が形成されている場合が多い。雲南省の省都昆明が標高1,891m、麗江が2,400m、大理が1,976mの盆地であるから省自体が標高の高い山地に営まれていることになる。
麗江空港で朝鮮族の厳さんという若い女性のガイドに出迎えられて、最初訪問したのは玉泉公園である。 市街地の北に位置し公園内の池の水が玉のように碧いので玉泉の名がつけられ、別名「黒龍潭」公園ともいう。清の乾隆2年(1737) に「玉泉王廟」として造られたのが始まりで弓型をした約6km2の池を中心としていて、その周囲にはしだれ柳が植えられている。
大理石で造られた玉帯拱橋の向こうには雪の帽子を被った玉龍雪山が白く聳えており素晴らしい光景である。運よく雲が切れてその秀麗な姿を見飽きることなく眺めることができた。
公園内には数多くの楼閣や亭が建てられているが、明の万暦29年(1601年) 創建の福国寺五鳳楼や三層四角の得月楼が有名である。たまたま民族衣装を身にまとった若い女性4人が楼閣の前にいたので、
写真を撮ってもいいかと許可を求めると「ジュウゲン、ジュウゲン」と手の掌を突き出してチップを要求された。「OK」とチップを支払う意思のあることを表明すると4人が並んでポーズをとり、撮影に応じてくれた。場所によって異なるが観光地に民族衣装を纏って屯している若い女性は写真のモデル料を得ることを目的としているのである。
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