前潟都窪の日記

2004年06月20日(日) 【多彩な少数民族が生活する雲南省・・�ぁ�

 再び麗江市内へ戻り、四方街を中心とする麗江古城を散策した。
 1300年の歴史を誇るこの街は玉龍川に育まれてきた豊かな自然に恵まれた美しい街である。

 リズミカルな曲線を描きながら四方に伸びる石畳の大通りと路地。
 明、清時代の建築様式を保っている古風で典雅な民家。
 大通りと横町そして民家の垣根や庭を横切って長年流れ続けるせせらぎ。


 さまざまな形の石橋と川辺の枝垂れ柳。
 この総ては人間の営みと自然が見事に調和した風景を織りなしている。
 特に東巴文化とナシ族の伝統習俗はこの街の魅力となっている。

 1996年に空前の大地震に見舞われ多くの建物が倒壊したが、莫大な資金を投下して街並は復元された。


従って多くの建物は新しく建て替えられているが忠実に復元されたので昔の面影はそのまま伝えられている。このあたりの考え方は歴史のある町並みを保存することに熱心な欧州諸国と同様であり、日本と一味違うところである。

 大理では現地ガイド王さんの案内で藍染めの家内工場を見学した。
 居宅の前庭には人間の背丈程もある大きな木桶が三つ置かれており、中年の男が木の棒でブルー色の水に漬かった布をしきりに掻き回していた。庭一面には染め上げたばかりの大小さまざまの布が所狭しとばかりに張り巡らされた紐に干されている。桶の傍らには植木鉢に植えられた藍の原料となる 「板蘭根」という草が三鉢程置いてあった。


納屋の傍らでは人老婆が二人小さな椅子に腰かけて巧みに糸を操りながら布に絞りを入れている。この村で一番上手なお婆さんであるという。

 片や母屋の部屋の中には藍染めの商品が並べられていて、若い女性が数人民族衣装に身を固めて、巧みな日本語で愛嬌を振りまきながら観光客に商品の説明をしている。




 ここで立ち働いている人々は何れも親戚関係にあり、無報酬の労働であるという。一年間の収支決算をしてから利益を分配するのであるから言ってみれば藍染作業に従事している親戚一同全員が経営者なのである。利益の配分方法については特に聞いてもみなかったので憶測になってしまうが、おそらくやる気を高揚させるような人事考課が行われて配分されるのであろう。

 立ち働いている人々の立ち居振る舞いには無駄がなく真剣そのものであった。ここに、最近日本の製造業の国際競争力がなくなって新興の中国へ工場移転が相次ぎ日本国内が空洞化していく現象の原点を見た思いであった。

 蝴蝶泉へ行った。大理古城から北へ24kmの雲弄山の麓にある方形泉は大理石の欄干に囲まれている。水面は鏡のように美しく滾々と湧き水が出ているこの泉を中心として小さな公園が作られている。

 この泉は昔無底潭と呼ばれていた。泉の横に親子が住んでおり娘は名を雯姑と言い聡明で金花に例えられる程美しかった。雯姑は漁師の霞郎という青年と婚約していたが、領主が雯姑を連れて行ってしまった。霞郎は苦労して雯姑を救い出したが官兵が追っかけてきて、追いつめられた二人は無底潭に身を投げたのである。その時雷光が走り暴風となった。そして雨が上がると泉の中から七色に輝く一対の蝶が現れ、その後から無数の蝶が飛び出してきたのである。

 この泉で王さんから悲恋の物語を聞き終えた時、泉から一段低い広場で民族衣装に身を固めた初老の男と若い娘達が数人、茶色毛の鶏を二羽抱えて、呪文のような音声を発しながら踊りをしているのに気がついた。興味にかられて眺めているとやがて鶏を水浴させ、それが終わると首を押さえて穀物をしきりに食べさせている。
それはあたかも鶏達に感謝を捧げている風情である。

 先祖の供養をするための儀式ではないかという人もあり、なるほどと納得しながらなおも観察していると、儀式が終わったのか、やおら老人が鶏の両足をつかんで立ち上がり大きな包丁を取り出して首を刎ねたのである。その動作の素早いこと、あっという間の出来事であった。突然の成り行きに唖然としてその周囲を見渡せば、何と儀式の現場から少し離れたところには石ころを組んで築いた火入りの竈と鍋釜に食器が並べられて綺麗に切られた野菜や炊きあがったご飯や調味料が敷物の上に並んでいるではないか。これから>野外パーティーが始まるのである。

 昔、田舎で鶏の首を刎ねる時のこれと同じ光景を見たことがあるなと幼児体験を思い出しながら、次の訪問地喜州村の厳家大院へ向かった。

 厳家大院は明,清時代の建築様式を伝える白族の代表的なものである。白族の中の最有力な一家である厳家の本家の中の大きな庭である。
この庭は三方一照壁といわれる建築様式で作られた建物の中にある庭である。この様式はペー族の伝統的な建築様式であるが、白壁と青瓦でできた二階建ての母屋の両側に副屋を建て、母屋の正面に目隠し用の照壁を配する建て方である。照壁は東側に設けられ照壁の反射光で明かりを部屋の中に取り込む仕掛けになっている。

 このような民家が数多くこの地には残されて美しい町並みを作り出している。

 この厳家大院で白族の若い娘達の民族舞踊を見学しながら「三道茶」を御馳走になった。三道茶は白族が客をもてなす時に出されるお茶で、最初「苦い」茶が給され、次いで「甘い茶」が出される。最後に「辛い茶」で締めくくるという訳である。

 恋愛中の若い女性が家族に紹介するため初めて、相手の男性を両親の許に伴ったとき、三道茶が出されれば両親の目にかなったということであり、三道茶が出されずに山海の珍味の御馳走でもてなされた時は「貴男は両親の眼鏡にかなわないから娘との交際は取り止めてくれ」という意思表示になるのだという。

 次いで大理石の加工工場を見学した。大理石とはこの大理で採取されることからつけられた名前であるとはここで初めて知った。大理石と言えばすぐローマやギリシャの彫刻や建物を連想するようになってしまっているが、言葉の原義を知らずに日常使用している言葉が如何に多いかを思い知らされたことであった。

 この工場は国営工場であるが、作業員は数名しかおらず、あとの過半は管理員であるから管理費倒れで採算の上がる筈がないとはガイドの王さんの見解である。ガイドの口からこのような発言が簡単に聞かれるようになったことは今の中国の政府当局の悩みとこの国の持つ民間活力の秘められたポテンシャルの大きさを窺わせるに充分であった。今後大いに発展する国であるとの感慨一入である。

 大理の三塔を見学した。この塔はもともと崇聖寺という大きな仏教寺院の境内にあったが度重なる兵火や大地震ですべてなくなり、三塔だけが残っている 主塔は南詔国の時代、唐の開成元年(八三六年) の創建で両脇の小塔はそれより少し後に建てられた。主塔の高さは69.13mで16層の方形密檐式の煉瓦製仏塔である。塔基前に「永鎮山川」の文字が大書されていて各層には仏像がはめ込まれている。

 主塔の南北に控える2塔の小塔は高さ42.19m、十層八角の密檐空心式の煉瓦製仏塔で大理国の時代に建立された。

三塔倒影公園内の池に写った三つの塔の影は実物と合わせて見ると六つ塔が
あるような錯覚にとらわれる素敵な光景である。

 三塔倒影公園内には南詔建極大鐘殿が新しく建設されておりこの鐘楼の二階に登って大理市内を眺望するとそこには白壁と青煉瓦屋根の古い町並みが開けているのを一望することができる。

 この後大理(古城)市内を見学したがここは城壁に囲まれた旧い
城郭都市でペー族が昔ながらの集落の中で悠然とした時の流れにまかせて都会の中の喧噪の中にあっても自然と調和した心豊かな生活を営んでいるのを見ることができた。       


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