前潟都窪の日記

2005年04月01日(金) 秦   河 勝 連載44 

大臣蘇我馬子は炊屋姫のもとへ伺候して次期天皇の人選で相談をした。
「今度の天皇は古来の慣行からすれば、先帝の兄弟に適格者がないため第一原則の適用はない。第二原則の適用で先帝の直系の皇子ということになると押坂彦人皇子か厩戸皇子ということになりますが、押坂彦人皇子は病弱で激務に耐えられないでしょうから厩戸皇子が最有力ということになりますね」と馬子が炊屋姫に言った。馬子からすれば、父母ともに蘇我一族の血を引く厩戸皇子が皇位につくことが蘇我一族の繁栄のためには一番良いことだと判断していた。

「竹田皇子だって先帝の直系の皇子ということでは、厩戸皇子と条件は変わりませんわ」と炊屋姫がまけてはいない。

「厩戸皇子は19歳だから天皇になるには若すぎるくらいだと考えております
が、適任者がいないのでここへ落ちつかざるを得ないと思います。竹田皇子は厩戸皇子より更に若いので厩戸の次ということになるでしょう」と馬子が言った。
「それでは、先帝の皇后が皇位につくことにしては」と炊屋姫は思惑通りことが運びそうなので内心笑みをたたえながら言った。
「先帝の皇后が天皇になるという先例はありませんが」と馬子。
「これは敏達天皇在世の頃、私に示された原則です。言わば敏達天皇の遺命といってよいでしょう」と炊屋姫
「大三輪逆がそのようなことを言っていたが、書いたものでもあるのでしょうか」と馬子。
「大三輪逆は敏達天皇の遺訓を書き留めて私のところへ持ってきましたわ」と炊屋姫は手文庫の中から書きつけを取り出して広げた。
「皇后の期間が長かった点ではそなたということになるでしょうな。穴穂部間人は、皇后の期間が僅か二年しかなかったから問題にならないでしょう」と馬子。
「それに穴穂部間人は多目皇子と再婚しているのですから天皇というわけにはいかないでしょう」
「それでは、そなたが天皇として即位されたうえで厩戸皇子を皇太子に指名されるという手順を踏んだほうがよいでしょう。しかし、女帝は初めてのことだから群臣に推されて即位するという形をとつたほうがよいと思います。私が推薦者になりますから一〜二度は辞退されて三回目くらいにお受けになったほうがよいでしょう。反対がでたときには証拠として敏達天皇の遺訓を開示しましょう。そのときのためにもその文書は、私が一時保管しておきましょう」と馬子。
「それでは、これを預けましょう」と炊屋姫。
 馬子には群臣達の中から女帝の先例はないから如何なものかという異論が必ず出てくるのに違いないという思惑があった。敏達天皇の遺訓を認めた文書は馬子の手中にあるのだし、これを記録した大三輪逆はこの世にいないのだから闇に葬ることができる。そのときには厩戸皇子が皇位につくことになる。これは蘇我一族にとって外戚としての地位が永続することを意味する。

【楽天トラベル】


 < 過去  INDEX  未来 >


前潟都窪 [MAIL]

My追加