2005年04月02日(土) |
秦 河 勝 連載45 |
群臣の前で蘇我馬子が発言した。 「この度 崇竣天皇が崩御されて、次期天皇には候補として押坂彦人皇子に厩戸皇子と竹田皇子がおわしますが、押坂彦人皇子は御病弱であらせられるし、厩戸皇子と竹田皇子は重職を担われるにはお二方ともお若過ぎる。ここは、皇后として長年政務にもかかわられた炊屋姫に御即位願うのが最も良い方法であると考えますので御推挙申し上げます」
群臣達は意外な発言にどよめいたが異議を唱えるものもいない。 「私には任が重すぎるので辞退します」と炊屋姫。 「対外的にも任那の再興等重要な時期なので是非お受け戴きたい」と馬子。 「辞退したい」と炊屋姫。群臣達は隣の人と囁きあっているが意見をいうわけでもない。大臣馬子の真意を計りかねてただ顔を見合わせている。 「それでは百官が上奏文を奉ろうではないですか。ここは多事多難の折りですが、是非お受け下さい」と大連の某が大臣蘇我馬子にとりいるような素振りをみせながら一方では群臣達の意見を取り纏めるような言い方をした。 「それがよい。皇祖の霊に上奏文を奉ってお受け戴こう」と群臣達は口々に言った。
三度目の要請で炊屋姫は即位することを受諾した。このようにして、推古天皇が日本史上初めての女帝として誕生し、12月8日豊浦宮で即位され た。翌年4月10日厩戸皇子を皇太子にたてられて、摂政とし国政を全て任された。
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