前潟都窪の日記

2005年05月29日(日) 水蜜桃綺談4

円念は虎丸にお経と武術を教えたが、それ以上に剣のもつ美しさを教えた。気性の激しい虎丸に刀の武器性よりも美術性の方が価値があることを悟らせ荘一族の中で争いが起きないようにするのが円念の役目だと自覚していたからである。

 動物好きな虎丸には武術よりも剣の美しさのほうが心の慰めになった。そんな生活の中で虎丸の心の中には刀の使い手であるよりも、鑑賞者であるよりも、刀を作る者になりたいという気持ちが育まれていくのであった。美の創造者になりたいという思いが心の奥底に沈澱していくのであった。

 虎丸が十才になったとき、福山寺の僧円念は父荘左衞門次郎に虎丸を備前長船の刀鍛冶景光に弟子入りさせることを進言した。

 この時代は後の江戸時代と違って士農工商という身分制度もできあがっておらず、農民が荘園内の田畑を耕作するが同時に武装もして外敵と戦うことが多かったし、鍛冶が武器をとって戦うこともあったので領主の庶子が刀鍛冶になることには違和感というものがなかった。            

「お館様、昔、村上天皇、冷泉天皇、一条天皇の佩剣を鍛えた名工として誉れ高い実成は長船の刀鍛冶でございました。しかも実成は虎丸様と境遇がよく似ておいででした。虎丸様は剣術の腕も磨かれ、お強くなられました。しかし御気性からして、剣の道を歩まれると荘家の将来にとって、由々しき事態が起こらないとも限りません。仏門で修業を続けられる御意志はないようにお見受けいたします」                       と円念は荘左衞門次郎に言った。                   

 円念の語るところにれば、実成は備前の国司が朱雀天皇(930〜946)の御代に自分に仕える女に生ませた庶子であり、幼くして母を失い寺に預けられたが、やがて刀鍛冶に弟子入りして名工になったというのである。現在長船村で名工として売りだし中の景光は円念と母方の縁続きであるという。  「そうだ、それは良い考えかもしれない。早速景光を呼んで呉れ」    「心得ました」                           


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