乱発される綸旨や令旨や檄は地方の豪族達の去就を決めかねさせていた。
荘常陸兼祐は始祖太郎家長が源頼朝の恩顧をうけた武将であることから、味方するなら同じ源氏の足利側にと心密かに決めていたが、戦況や政情が目まぐるしく変わるので、旗幟鮮明にすることなく日和見主義をきめこんでいたが何れの側に加勢するにしても、平地での戦よりも石垣を持ち山の上にある福山寺を砦にした方が戦い易いと考えて、福山寺に立て籠もって情勢を見守っていた。
一族の荘左衞門次郎はいちはやく足利直義の旗下に参じて、幸山城に布陣していた。幸山城は始祖太郎家長が武州から移ってきたとき築いた城であり、福山城とは指呼の距離にあった。
荘左衞門次郎の使者が足利方に味方するよう荘常陸兼祐の許へ幾く度か往来した。
垂光は、父左衞門次郎の密命を帯びて福山へ赴いた。垂光は墨染の衣を纏い僧に変装して、勝手を知った抜け道から福山城へ入城し円念と過ごした僧坊の前までたどりついたとき草むらに蛇をみつけた。垂光がいつものように左手の五本の指先を第一関節のところで曲げて掌を蛇へ向けると、蛇は竦んで身動きできなくなった。蛇を捕まえたとき、この様子を不審に思いながら見ていた警護の寺侍に誰何された。
「お主、何者じゃ。そこで何しとる」 「ご覧の通り蛇を捕まえたのじゃ」 「蛇をつかまえてどうする」 「首に巻いて南妙法蓮華経を唱えるのじゃ」 「さては、最近蛇を首に巻いて、新しいお題目を唱えてまわる怪しげな者がいるとの噂じゃが、お主のことか」 この寺侍は最近雇いいれられた悪党の一人らしく垂光の記憶にない顔であった。眉が濃く骨太の男でずんぐりした体格であった。 「さよう、南妙法蓮華経をお唱えんせぇ」 「怪しい奴だ、こちらへ来い」 垂光は寺侍に捕まえられて、警護小屋へ連れていかれた。警護小屋には垂光が昔円念の元で修業していた頃の顔馴染みも居たが、成長盛りに長船村の景光へ弟子入りしたので背丈、顔つきも変わっており、人相から虎丸であると気がつくものはいなかったが蛇をてなづけていることが彼らの記憶を呼び戻した。 「若い僧侶に身をやつした密偵が捕まったそうな。蛇を首に巻いてござるそうじゃ」 「もしや、虎丸様ではなかろうか。蛇をあのように手なづけられるのは虎丸様をおいて他にはいない」 と一人の男が言った。 「そうじゃ。虎丸様じゃ」 「なんでまた密偵のような真似をしなさったのじゃろうか」 騒ぎは城中へ広がり、女中達も見物に来た。 「何と涼しげな顔立ちの坊様でござろう」 「意志の強そうな目付きをしておられることよ」
噂を聞いた常陸兼祐の娘雪姫もお付の侍女を連れておそるおそる見物にきた。虎丸が福山寺にいた頃は雪姫はまだ三才で虎丸のことは覚えていなかったのである。
垂光がきっと正面を見つめている視線に雪姫の姿が写った。雪姫の視線と垂光の視線が交錯したとき蛇に睨まれた蛙のように、雪姫は竦み、体中に雷にうたれたような衝撃がはしった。
垂光は寺侍の総元締円念の前に引き出されことなきを得た。
BIZ-ONE=小遣い稼ぎのツール

 
|