前潟都窪の日記

2005年06月04日(土) 水蜜桃綺談10

「御忠告なれど、乱世に生まれた武家の宿命。志の高い足利殿にお味方申す」
 この時の左衞門次郎は、周辺の豪族達は足利軍に加勢すると読んでいた。加勢しないまでも、中立を保ち形勢をみて、戦に分のあるほうへなびくであろうとみていた。今、左衞門次郎が足利方に加勢すれば雪崩のように周辺豪族達は自分にならって足利方へなびくものと自負していた。ただ心配なのは同族の荘兼祐の動向であった。使いに出した垂光の報告では荘兼祐は旗幟を鮮明にすることなく日和見主義でいく気配であった。戦乱の世のならいとは言え同族が敵味方に分かれて争う愚だけは避けたいと思っていた。
幸いなことに児島の飽浦信胤が兵を率いて福山城に駆けつけ荘常陸兼祐を説いて足利軍に加勢させたと知り、足利軍の有利を確信していた。

荘一族を味方に引き入れることには失敗したが大江田氏経は、左衞門次郎の予測に反して付近の豪族達を味方に引き入れることに成功した。大江田氏経が軍使に言わせたのは次のきまり文句であった。
「これは正義の戦である。天皇親政を実現するための戦である。勝利のときには加勢した武将には官位官職が恩賞として下される」
田舎の豪族達は乱世に力を蓄えてきた武士であり名門の出でない者たちは天皇家に組みし官職を貰うことで社会的な権威を獲得しようとした。彼らにとっては、手柄をたてて都で官位官職を手に入れることは魅力であったし、天皇家に忠誠を誓うことが彼らの倫理感にもあっていた。
            大江田氏経は、日和見主義者の多いこの地域では最初に行動を起こし、緒戦で圧倒的に勝つことが肝要と考えた。夜陰に乗じて全軍に火矢を持たせ一斉に福山城内へ放たせた。火矢を放ってからは全軍一斉に突撃をさせたのである。戦には勢いというものがあり、緒戦で勢いに乗った側が有利に展開することが出来る。大江田氏経は自ら先頭に立って栗毛の馬に跨がり緋縅の鎧に兜を被り、福山城に向かって突撃した。  

 雪崩の勢いの突撃であった。博打のような戦法であったが相手の出鼻を挫いて充分であった。奇襲攻撃といえた。 ところが思いがけないことが起こった。敵側より弓矢の応戦は全くなく城の門が開いて白旗をかかげた兵達がなんの抵抗をするでもなく大江田氏経軍を城内へ導きいれたのである。荘常陸兼祐と飽浦信胤とが共謀した裏切りであった。一番堅固な城と目されていた城を天皇方に渡し、逆賊となっている足利方を打ち破れば荘左衞門が領している下道庄、浅口庄、窪屋庄の領地が恩賞として貰える手筈になっていた。大江田氏経の軍使が密かに福山城を訪れた時の約束であった。


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