2005年06月20日(月) |
小説・弾琴の画仙浦上玉堂8 |
明和五年(1768)24才のとき五月には御手許御用奥詰めを仰せつかり、御留方を加役された。政香と兵右衛生門の水魚の交わりはいよいよ深まり、理想実現に向かっての二人の議論はしばしば行われ、時には難解な哲学論争に及ぶこともあった。 「兵右衛門よ、人間の本質をどのようなものとしてとらえるか、とりわけその本性をどのようにみるかについて議論してみようではないか。その見方次第によっては治世のやりかたが変わってくると思うからだ」 と政香が日頃の勉学の成果を復習するつもりなのか今日はいつもと口調が違っていた。 兵右衛門は改めて人間の本性はと問われると性善説とも性悪説とも決めかねるところがあった。ただ人間の本性は善でもなければ悪でもないとする告子の説に最近興味を持っていたので主君がこの難しい哲学的な課題に興味を示したのをよい機会と捉えて主君自体の考えを確かめておこうと思ったし、このさい性善説と性悪説について復習しておくのもよかろうと思った。 「つまり性善説か性悪説かということですか」 「そうだ。そちはどちらの立場をとるのか聞いてみたい」 「それがしは時と場合によって、ある時は性善説であるときは性悪説です」 「それでは議論にならないではないか」 「人の性は半分が善であり半分が悪だと思っております」 「お互いの理解を深めるために今日は儂が性悪説にたつからそちは性善説の立場にたって勉強の成果を試してみようではないか」 「殿がそう仰るなら仮に性善説の立場にたつことにいたしましょう。殿も仰ったように諸氏百家の学説の復習を兼ねて理解を深めるということで論じますから殿が既にご存じのことを喋ることもあると思いますが本日の討議の趣旨から御容赦願います」 「勿論望むところだ」
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