前潟都窪の日記

2005年06月22日(水) 小説・弾琴の画仙浦上玉堂10

明和五年(1768)5月16日政香は江戸から帰館したときに久しぶりに会った兵右衛門に対して次のように言った。
「儂は道中の駕籠の中で論語を読んでいた。その中の子路の編に君主たることの難しさを認識することこそ国を興す本である、ということが書いてあった。ここの意味を考えていると儂はわが身につまされて嘆かわしくなってしまった。よく考えてみると我々は旱魃が続き作廻りがよくないことで難渋しているがそのことはちっとも憂いとするには足りないことだということに気がついた。とにかく修学の根本とするところのものが未だ備わっていないのが憂なのである。その根本とするところのものが備わっていさえすれば、作廻りのこと等は枝葉末節のことである。君主たることの難しさを知って、自らを戒め慎み、常に自分のしていることに恐れおののく気持ちを忘れずに持っていること、これこそが学問をし修行することの根本である。この根本を忘れず常に学ぶことを忘れなければ小々の困難等は憂いとしない」

 なかなか難しく判りにくい言い回しであるがここで政言が言っていることは現実世界での農作物の多寡などという政治の実効性よりもむしろ統治に当たる藩主の「真の君主性」とでもいうべきものの精神的優位性を主張しているのである。

 そしてまた次のようにも言った。
「若い時は一度しかなくて二度とは巡ってこないものである。従って近習の者は皆若いのだからいずれも文武に励むべきである。世間では大名は学問がなくてはならないというがこれは当然のことであってこういう言い方では不十分である。大名に限らず一般の人々も学問がなくてはならない。そうでなければ各々が持っている役目、務めが全うできないものだ」
 と奨学にかける熱意を常に語っている。

 兵右衛門が政香に仕えてこれらの言説を聞き、心を打たれたのは若き藩主の情熱と生来備えているロマンチストとしての性格であり人柄であった。そして言葉の端々に迸り出てくる、領民一人一人の幸せを常に願っている仁の心であった。また日常生活の中で観察される端正な立ち居振る舞いと清潔感溢れる生活態度や人生を真剣に生きて行こうとするひたむきな姿勢が見習うべき理想像として兵右衛門の心に刻みこまれていった。
                                                     


 < 過去  INDEX  未来 >


前潟都窪 [MAIL]

My追加