前潟都窪の日記

2005年07月03日(日) 小説・弾琴の画仙浦上玉堂19

 光政公の再来と期待され、仁政実現の理想に燃えた清廉潔白な若き藩主政香に薫陶を受けた玉堂にとって、新しい役目は気の重い任務であった。政務監察の役目は藩政全般を大所高所から監査して、不審を明らかにし、不明を教化し、不良を改善し、不正を糺して藩務の効率化、合理化を図っていくことにあったが、真剣になって真面目に監察の目で周囲を見回せば賄賂、役得の横行がすぐさま目についた。年貢を納める領民の心はすさび、役人の無責任、無気力とそれとは裏腹の横柄な態度が蔓延していて社会の実態はほとほと目にあまるものばかりであった。現実の社会は玉堂の目指していた理想の政治とはあまりにもかけ離れ過ぎていた。それでも就任当初は正義感に燃えて、仁義の道を説き綱紀の粛正を目指して家臣の教化善導に力を注いだが、弛緩しきった家臣達の心に改革の灯を点じることはできなかった。

「殿様、船宿講の堀様がお見えですが」
 と安が奥の部屋で未完成の絵に筆を入れている玉堂へ取り次いだ。大目付の辞令を頂いて一両日経ち、退庁して藩邸の自室で寛いでいるときのことであった。
「はて、用向きは」
「大目付御就任のお祝いと御挨拶だと申されてこのような品を御持参になりましたが」
 と言って安がとれたてらしく、まだぴちぴち動いている大きな鯛の入った籠と朱塗りの酒樽を重たそうに運んできて見せた。
「はて、挨拶にしてはこのような大行なものを・・・とりあえずはお通ししてくれ」
 お茂に案内されて入ってきた男は小気味よく太った赤ら顔の男で、縞の羽織を着て揉み手をしながら愛想笑いを浮かべて入ってきた。
「お初にお目にかかります。手前、堀源左衛門と申しまして中の島で船宿を営んでおりまする。このたびは大役の御就任、祝着に存じます、何はともあれ中の島の船宿講の代表として御挨拶に参上致しました」
「これはまた、ご丁寧に。ところでこのような物を持参されては困ります。お定めにより挨拶に音物の持参は禁止されているのは御存の筈だが」
「まま、そう固いことを仰らずにほんのお近づきの印ですから」
「お役目柄それは困る」
「これはまた律儀なことを。殿様はお若いのでまだご存じないかもしれませぬが、大目付に御就任になれば先ず、船宿講で鯛と酒樽をお届けしてお祝い申し上げるのがしきたりになっております。前任の方もその前の方にも受けて頂いておりますので、これはもう受けて頂かなければ手前の立場がありませぬ」
「いやいや前例がどうあろうともお定めはお定めだから、取り締まる立場にある拙者としては受け取るわけにはいかぬ。気持ちだけは有り難く頂戴するがこの品は持ちかえって下され」
とこのような受けよ受けぬの押し問答が繰り返された後、堀源左衛門は首をかしげながら竹籠と酒樽を下男に担がせて引き上げていった。

 堀源左衛門を追い返してほっとしたのも束の間で、今度は鴨方の郡代がこれも酒樽と竹皮製で二つ折りの籠に包まれた大きな鯛の浜焼きを持って挨拶にきた。人目を憚って九里の夜道を馬を飛ばしてやってきたので遅くなってしまったと弁解した。備中鴨方は備前岡山の西方35・の地点にあり、ここへ郡代を置いて知行地の管理にあたられているのである。

 郡代の主たる職掌は鴨方藩の知行地に設けられた陣屋に常駐して、年貢の取立率を決定し、領地を巡回して農事を奨励し風俗の改善をはかり、村役人を監督して人柄の清潔な者を任命するとともに、宗門改め・諸法度の伝達などであった。郡代は領地の用水・普請・御林等の検分、高掛物の割当の取締り、加損改・作柄予想・新田の収穫量と年貢の見積もり等の時には、これらの実務に詳しい下役人の助言を受けて業務を執行したから鴨方藩の現地駐在最高責任者であった。

 こちらの方も道理を説いて持参した品は持ち帰らせたが、就任そうそう、いきなり思いもかけなかった二人の音物攻勢に兵右衛門は考えこんでしまった。
<禁止令があることと役目柄を理由に心尽くしの贈り物を受け取らず、二人ともつれなく追い返してしまったが儀礼の点から問題はなかったか。孔子は礼を教えの基本において特に重んじているから今回儂のとった態度はその点からいえば礼に反したことになるのではなかろうか。それにしても堀源左衛門の場合は市内だからまだいいとしても、郡代の場合は遠路鴨方からわざわざ祝いにきてくれたのに追い返してしまったのは気の毒なことをしたな。その労を多とする意味からも受け取っておいて後日同価値のものを届けるということでもよかったのではなかろうか。そうすれば儂には役得をしたいという私心のないことが判って貰えて相手に嫌な思いをさせなくて済んだのではないだろうか。いやいやそれはいけないことだ。最初は小さな単なる儀礼的な音物のつもりが次第に過熱して利益誘導の手段になり果てるということなんだろうな。音物禁止令の趣旨はそういうことに違いなかろう。それにしても彼等の魂胆は何だろう。堀源左衛門は船宿講の代表と言っていたな、すると講全体として何か企みがあるな、そうか運上金の率について匙加減をして貰いたいということか。それでは郡代の狙いはなんだろう。郡代は肝煎(きもいり、村の世話役)に対して年貢の取立率を決める権限を持っているから郡代と肝煎の間になにかいわくがありそうだな。それにしても重役就任の初日からこんな状態だから、藩内で利権の伴う役目のところへは、相当な賄賂が贈られていると考えてもいいのだろうな。これは余程心してかからなければ、誘惑に負けてしまいそうだな。この悪弊を直していくのは相当難儀なことだろうなあ、どうしたらいいのだろう>

 と兵右衛門は自問自答しながら重役に就任してから日を置かずして、綱紀弛緩の匂いを嗅ぎつけ前途に待ち受けている役目の難儀に思いを致すのであった。


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