前潟都窪の日記

2005年07月22日(金) 小説・弾琴の画仙浦上玉堂38

 宿舎は磐梯山南麓に与えられ、猪苗代湖が一望できる風光明媚の地であった。ここへ逗留中に次の詩を作った。これは後集の第一詩である。

   卜居
   吁是琴翁子 心破絶知音
   超然去汚世 卜居会山峰
   魔室四席半 後有小竹林
   西園果桃実 東圃種薬岑
   携酒同友至 抱琴与月吟

    ああ是の琴翁子 心破れて知音を絶つ
    超然として汚世を去り 居を会山の峰に卜す
    魔室四席半 後に小竹林あり
    西園に桃実(とうじつ)果(みの)り 東圃に薬岑(やくぎん)を種(う)う
    酒を携えて友と同じに至り 琴を抱きて月とともに吟ず

 ああ琴人であるこの私は、仁政を実現しようと燃え立っていた気持ちも破れてしまい、友人との消息も絶ち、この世の汚さに超然として会津の山に居を定めることになった。部屋は四畳半で家の後ろに小さな竹林があり、西の庭には桃が実り、東の畑には薬草の苗が植えてある。時には訪ねてくれる友とともに酒を飲みつつ、月光の下で琴を弾いて嘯そぶくのである。
                                  
 この詩では「心破れて」と、かつて抱いていた夢が心の隅をよぎってはいるが、絶望感や敢えて自分を痴とか愚と言い聞かせようとする姿勢もなくなっている。あるがままの自分を受け入れて世捨人として生きていこうとする決意の表明と読み取ることができる
 寛政八年三月一日、玉堂は江戸の会津藩邸へ赴任する秋琴と和学修業のために初上洛する大竹政文を伴ってまだ雪の残る会津を旅立った。
 江戸への道中の途中、小仏峠を越えて諏訪神社の参詣を済ませて矢島家へ立ち寄った。
 ここで催された雅宴では請われるままに扇面に詩を賦し自製の琴を贈った。

 矢島家へは次の詩を残している。

   春行吟入白雲深 金沢青楊酔心易 
   一段別情詩酒外 片心解贈七弦琴

    春行 吟じ入り 白雲深し、金沢青楊(きんたくせいよう)酔心易し
    一段の別情 詩酒の外、片心解けて七弦の琴を贈る

 詩を吟じながら会津から信濃へやってきた。空には白雲がかかり、湖はきらきらと金色に輝き青い柳はすくすくと伸びてうっとりする眺めである。人との別れということになると酒ばかり飲んで平然と詩をつくるだけでは済むまい。また別な感慨なども催してきて七弦の琴を贈りたくなった。
 伸び伸びとおおらかに自然の風物を楽しみ、酒酌み交わしながら詩を作るなどして風雅の道を楽しんでいると、気持ちが通じあい大事にしていた自製の琴を記念に贈りたくなったとはしゃいでいる玉堂の姿が彷彿とする詩である。鬱屈した気分はもう感じられなくなっている。


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