2005年08月11日(木) |
三村一族と備中兵乱16 |
三村家親は鶴首城を拠点として毛利氏と提携しながら尼子氏と戦い備中に勢力を伸ばした。また美作への侵攻を繰り返しながらさらには備前へ進出の機会を狙っていた。
堺へ出てきた又次郎は異質な雰囲気を感じていた。何か人の精神を開放的にさせるものを町がもっていた。町に活気があった。しかも、それは何者にも束縛されないで人人が自分のために働いているのである。自立自尊の精神が横溢しているように感じとっていた。 町人達が戦国の動乱から町を守るために、濠を堀り、武装して自衛の態勢を整え、有力町人十人による会合衆によって町政を指導する自治体制を確立していた。永祿十一年(1568)織田信長の矢銭二万貫の要求に対してこれを拒絶するほどの力を蓄えていた。
又次郎は弟の喜三郎を探しだした。喜三郎は師匠の橋本一巴が美濃の織田信長に鉄砲指南役として召し抱えられたので堺の鉄砲鍛冶の工房へ用心棒を兼ねて鉄砲職人として奉公していた。 「兄者久しぶりじゃのう」 「お主も達者でなによりじゃ。お主は鉄砲鍛冶で奉公しているそうじゃが、田舎へは帰らんつもりかのう」 「鉄砲鍛冶に奉公しとるんは、鉄砲の腕を磨きたいからじゃ。腕を磨いたら田舎へ帰って猟師をしようと思うとるんじゃ」 「青江で鉄砲鍛冶をやればええが」 「それも考えて奉公しとるんじゃ。わしゃ根から鉄砲が好きでのう、猟師に早うなりたいと思もよんじゃ」 「そうじゃったんか。わしも猟師になろうかのう」 「何でそねえことを言うんじゃ、兄者は三村様の御家中で奉公していたんじゃろ。何ぞ落ち度でもあったのかいな」 「そうじゃぁねぇ。堺の町を歩きょうるとのう、誰にも束縛されない生活のことを考えさせられるんじゃ。自由な生活といゃぁ田舎では猟師ぐれえしかなかろうが」 「ところで堺へは何しにきたんじゃ」 「殿の御用で鉄砲を買いにきたんじゃが」 「何丁欲しいんじゃ」 「一丁か二丁でええんじゃがのう」 「金はぎょうさん持ってきたんか」 「百貫ほどじゃ」 「それじゃ、買うのは難しいじゃろうな」 「なぜじゃ」 「一丁や二丁ならぼっこう高けえからのう」 「ほう、なぜだ」 「出回っている数が少ねえけえ高こうなるんじゃ」 「鉄砲鍛冶の所へ行けば買えようが」 「それがまた難儀じゃ」 「どうして」 「よほどのつてがねえと売ってもらえねえんじゃ」 「それはまた何故じゃ」 「大名家が纏めて買ってしまう」 「どんな大名が買うんじゃろか」 「甲斐の武田では三百集めようとしているし美濃の織田では三千集めるという話じゃ」 「お主の奉公している鉄砲鍛冶ではわけて貰えねえかのう」 「そりゃ無理じゃ。織田家の注文をこなすのに汲々しているし、第一織田以外に売ったことがばれたら首が飛ぶ」 「困ったのう。なにかええ智恵はないもんかのう」 「一丁だけなら、わしが昔使っていたのがあるが」 「使い古しじゃ、殿に渡すわけにはいかんじゃろ」 「兄者が使えばええが」 「そうじゃのう撃ち方をわしも習いたいしのう。よろしゅう頼みますらあ」 「明日手ほどきしよう」 喜三郎から手ほどきを受けて鉄砲の扱い方は身につけたが、肝心の鉄砲が手にはいらない。そうこうしているうちに鉄砲を買うために持ってきた百貫の銭を旅籠で盗まれてしまって国へ帰れなくなってしまった遠藤又次郎である。

|