前潟都窪の日記

2005年08月19日(金) 三村一族と備中兵乱24

 5月24日次郎四郎は愛宕精進のため、城の前の川に出て体を清めていたところ、三村の軍勢が繰り出してきたので、城に立ち帰り甲冑をつけて城をでた。その時既に城兵一人が先に立って敵方の三村軍の兵と槍を合わせていた。この立ち合いを目撃した別の三村兵が城兵の槍脇を狙った。それを見た次郎四郎は、弓を手に持った二人の敵に突いてかかった。あまりに距離が近かったので、敵は矢を放つことができず刀を抜いて切りかかって来たが、次郎四郎は手に持った槍で強くつきたてたので敵はかなわず逃げていった。また一人の敵が槍を持ってかかってきたので、次郎四郎はこの敵と槍を合わせた。はじめ槍を合わせた三村の兵が城側の兵との勝負を止めて四郎次郎の背後から突いてかかった。次郎四郎は前後の敵を一手に引受けることになったが、少し退き二人を相手に戦った。相手の隙をみてとった四郎次郎は敵の手にする二本の槍を一つに掴んで放さなかった。そこで二の敵が跪き倒れたところを取り押さえ首をとった。

 そこへ敵兵二、三人が駆けつけ、馬場の兜をとって引き倒そうとしたが、四郎次郎がそれを切り払い、更に切りかかっていったからその勇敢さに恐れをなして近づくものはなくなった。その後も小競り合いだけで合戦らしい合戦はなく矢文の応酬があった。
 三村方からの矢文の狂歌は
「井楼を上げて攻めるぞ三つ星を天神そへて周匝(すさ)いくひ物」
というものであった。
 歌意は
「井桁に組んだ櫓を上げてさあ攻撃するぞと三星城内の敵情を観察すれば、中は天神山城からの浦上軍の応援部隊が取り巻いているではないか。まるで蒸籠の中の混ぜ物入りの不味い食べ物のようなもので実力の程は知れたものよ」と相手を挑発している。
 一方、城方からは額田与右衛門が返歌を書いて三村の陣中へ射返した。
「天神の祈りのつよき三星をなりはすまいぞ家ちかに居れ」
 歌意は
「天の神が必勝を祈願して下さった三星城は決して落城することはない。浦上軍の応援もあることだし三村軍の総帥家親は諦めて帰り、自分の家でも守っていたらどうですか」というものであり、敵味方お互いに城の攻防を楽しんでいる風情が窺える。
 三星城攻めではさしたる戦果もなく、むしろ馬場四郎次郎に功名をあげさせるだけの結果に終わって、備中へ引き揚げた。
「東海地方で織田信長が暴れまわっているらしい。やがては都へ上るばかりの勢いだという。毛利の殿もいずれ上洛の意思を固められるときがこよう。そのときに通り道に立ちはだかる備前勢を片付けねばならぬ。いずれは一戦交えなければならなくなるだろう。その前に小手試しに美作に兵を入れ、地慣らしをしておかねばなるまい」
 三村家親は一族、重臣を集めた軍議の席で口を開いた。
「それにしても、三星城の戦いではぶざまな戦をしたものよ」
と嫡男の元親が言った。
「敵を侮ったのがいけなかった」
と親成が反省の気持ちを述べると
「今度は、総力を上げてかからねばならぬ」
と家親が一同を見回しながら、毅然とした口調で言った。
「次の目当ては当然高田城ということになるでしょう」
と次男の元親が父の考えを忖度して言った。
「出雲路は概ねかたがついているので、都を目指さねばなるまい。毛利の殿からはまだ命令を頂いてはおらぬが、殿は必ず都を目指される。今のうちに高田城を落として足場を固めておくのも御奉公というものじゃ」
と言うと列座の親頼、親成、政親、親重等主だった将に異存はなく、高田城攻撃が決まった。

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